下野国分尼寺跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/27518 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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引用表記 | (公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ− 2014 『栃木県埋蔵文化財調査報告364:下野国分尼寺跡』(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ− 他 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ− 2014 『下野国分尼寺跡』栃木県埋蔵文化財調査報告364 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book ... 開く
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ファイル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名 | 下野国分尼寺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | (公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター - 栃木県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | しもつけこくぶんにじあと | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 重要遺跡範囲確認調査 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | 2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | 栃木県埋蔵文化財調査報告 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | 364 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ−
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発行機関 |
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ−
栃木県教育委員会
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発行年月日 | 20140326 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 329-0418 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0285-44-8441 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 栃木県下野市紫474番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | [下野国分尼寺跡 要約] 伽藍地東側に建てられた仮設堂は瓦の分析から、瓦葺きの仮金堂であって、宇都宮の水道山 窯や三毳山麓の窯から瓦を供給していたことが明らかになった。 主要堂宇を造営する時期には、掘立柱塀で伽藍を区画し、北側・東側に溝で寺院地を画した。 文字瓦は、国分寺と尼寺で主体となる郡名が異なっており、二寺を併行して造営する際に、貢 進(負担)を均等化した措置と判断された。9世紀には郡名瓦もなくなり、「 国分寺 」 など寺 名瓦に変化し、国による関与が強化されたと推測した。 9世紀前半には、新調瓦が主要堂宇造営期と同じ程度造られ、改修か再建されたと考えた。 この修造が終えた9世紀第3四半期には伽藍地の区画施設を掘立柱塀から築地塀に造り直す。 この時期に、伽藍地の東側・北側には竪穴住居や掘立柱建物が展開する。出土遺物から、伽藍 地東側で鍛冶や漆塗りなどの営繕施設、主に北側が調理施設、北東部で寺務に係わる施設など が置かれたと想定した。9世紀第4四半期には主要堂宇の補修が行われ、10 世紀中葉まで法 灯が続いたと考えられる。 |