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頼藤城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27512
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.27512
引用表記 公益財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2014 『公益財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書65:頼藤城跡』公益財団法人広島県教育事業団
公益財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2014 『頼藤城跡』公益財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書65
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書名 頼藤城跡
発行(管理)機関 (公財)広島県教育事業団 - 広島県
書名かな よりとうじょうあと
副書名 中国横断自動車道尾道松江線建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 ; 37
巻次
シリーズ名 公益財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書
シリーズ番号 65
編著者名
編集機関
公益財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室
発行機関
公益財団法人広島県教育事業団
発行年月日 20140314
作成機関ID
郵便番号 733-0036
電話番号 082-295-5751
住所 広島県広島市西区観音新町4丁目8番49号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 頼藤城跡
遺跡名かな よりとうじょうあと
本内順位
遺跡所在地 広島県三次市甲奴町小童
所在地ふりがな ひろしまけんみよししこうぬちょうひち
市町村コード 34209
遺跡番号 34563-153
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344022
東経(世界測地系)度分秒 1330341
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.672777 133.061388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20080421-20080731
調査面積(㎡)
8,187
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
城館
時代
中世(細分不明)
主な遺構
平坦面45
建物跡5
土塁3
石列4
炉跡1
主な遺物
土師質土器
瓦質土器
亀山焼
青磁
鉄釘
短刀
刀子
不明鉄製品
古銭
特記事項 15世紀後半から16世紀前半を中心とする中規模の出城。2間×2間または2間×1間の建物跡を検出。
要約 [頼藤城跡 要約]
 頼藤城跡は,「祇園社領備後小童保」と言われていた小童地区のやや南西寄りに位置する。城跡の使用時期は15世紀後半から16世紀前半のうちの短い期間と推定され,山内氏が支配した時期かその前後と考えられる。本城跡は,立地・遺構・遺物などからみて,「出城」としての機能が考えられる。小童保の支配は,小童山根城跡が拠点となり,その周辺に配された諸施設と有機的に結ばれて行われたとも考えられ,本城跡はそのネットワークの一部として,街道とその交差点などの交通の要衝の監視や頼藤の集落など小童保南西部の監視を行っていたと思われる。また,狼煙を使った情報伝達を行っていた可能性がある。 

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