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常納原遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27504
引用表記 財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2012 『財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書56:常納原遺跡』財団法人広島県教育事業団
財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2012 『常納原遺跡』財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書56
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ファイル
書名 常納原遺跡
発行(管理)機関 (公財)広島県教育事業団 - 広島県
書名かな つねのうばらいせき
副書名 県営経営体育成基盤整備事業(農業生産法人等育成型)法京寺地区に係る発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書
シリーズ番号 56
編著者名
編集機関
財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室
発行機関
財団法人広島県教育事業団
発行年月日 20121214
作成機関ID
郵便番号 733-0036
電話番号 082-295-5751
住所 広島県広島市西区観音新町4丁目8番49号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 常納原遺跡
遺跡名かな つねのうばらいせき
本内順位
遺跡所在地 広島県庄原市西城町八鳥
所在地ふりがな ひろしまけんしょうばらしさいじょうちょうはっとり
市町村コード 34210
遺跡番号 34601-155
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345752
東経(世界測地系)度分秒 1330744
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.964444 133.128888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20091013-20091211
20100607-20100825
調査面積(㎡)
1,580
6,572
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
古墳
時代
縄文
弥生
主な遺構
柱穴群
落し穴
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
縄文土器(押型文)
石鏃
弥生土器
土師器
台石
鉄滓
特記事項 鉄鉱石・山陰型甑形土器
要約 [常納原遺跡 要約]
 常納原遺跡は,江の川支流の西城川上流域の東岸にある丘陵上に立地している。調査は庄原市教育委員会と当教育事業団が実施し,当事業団は2次にわたって調査を行った。  1次調査では主に竪穴住居跡8軒,掘立柱建物跡2棟,土坑15基,土坑墓1基,溝5条,性格不明の落込み3基を確認した。竪穴住居跡の内,A区SB3の床面から山陰系甑形土器が2個体分出土している。SB5内の土坑から炭化した栽培種(イネ,アサ,アワ)が出土している。6世紀後半頃のA区SX1内から磁鉄鉱(総重量7.5kg)と椀形鍛冶滓(鍛錬鍛冶滓)が出土している。古墳時代中期のB区SB1と庄原市教育委員会調査の弥生時代終末期の住居跡から鍛錬鍛冶滓が出土しており,弥生時代終末期から古墳時代後期にかけて鉄器生産が行われていたと思われる。  2次調査では明確な遺構は落し穴2基であったが,2時期の柱穴群を確認した。時期は縄文土器(押型文)から縄文時代早期頃と考えられる。  本遺跡は縄文時代早期・弥生時代終末〜古墳時代後期の集落のほか,庄原市教育委員会の調査では古墳を2基確認している。縄文時代早期の遺跡は,西城地域では最も古い集落跡である。また,古墳時代前期以降に鉄器の生産が行われていたことや,後期以降は鉄鉱石の出土から周辺に製鉄遺跡が存在している可能性が考えられる。 

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