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堺環濠都市遺跡 II(SKT960地点)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24582
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.24582
引用表記 (財)大阪府文化財センタ− 2008 『(財)大阪府文化財センタ−調査報告書178:堺環濠都市遺跡 II(SKT960地点)』(財)大阪府文化財センタ−
(財)大阪府文化財センタ− 2008 『堺環濠都市遺跡 II(SKT960地点)』(財)大阪府文化財センタ−調査報告書178
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ファイル
書名 堺環濠都市遺跡 II(SKT960地点)
発行(管理)機関 大阪府文化財センター - 大阪府
有償頒布・配布ページ https://www.occh.or.jp/?s=book
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな さかいかんごうとしいせき に
副書名 少林寺・B団地建替に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 (財)大阪府文化財センタ−調査報告書
シリーズ番号 178
編著者名
編集機関
(財)大阪府文化財センタ−
発行機関
(財)大阪府文化財センタ−
発行年月日 20080331
作成機関ID
郵便番号 590-0105
電話番号 072-299-8791
住所 大阪府堺市南区竹城台3丁21番4号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 堺環濠都市遺跡(SKT960)
遺跡名かな さかいかんごうとしいせき
本内順位
遺跡所在地 大阪府堺市堺区少林寺町東3丁地内
所在地ふりがな おおさかふさかいしさかいくしょうりんじちょうひがし3ちょうちない
市町村コード 27201
遺跡番号 6
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343416
東経(世界測地系)度分秒 1352816
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.571111 135.471111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20061027-20070530
調査面積(㎡)
663
調査原因 大阪府住宅供給公社少林寺・B団地建替に伴う事前調査
遺跡概要
種別
集落
時代
古代(細分不明)
主な遺構
足跡
主な遺物
土師器
須恵器
黒色土器
埴輪
特記事項 圏脚円面硯。
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
礎石建物
鋤溝
主な遺物
陶磁器
石製品
特記事項 中世堺の環濠を検出。
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
区画溝
礎石建物
廃棄土坑
埋甕
主な遺物
近世陶磁器
金属製品
石製品
木製品
特記事項 近世期の職人町屋を重層的に検出。
要約 [堺環濠都市遺跡(SKT960) 要約]
今回の調査区は堺環濠都市遺跡の南東部に位置する。 近世段階には、17世紀初頭から19世紀に至る短冊形地割の町屋構造を検出した。 町屋は職人町で調査区の東側が樽屋町、西側が絹屋町となっていた。 短冊形地割であるため、1 軒の町屋の間口は細長く、奥行きが長い構造である。 敷地表側の道路に面する部分に礎石建物を建て、裏側にあたる部分には廃棄土坑や井戸、埋甕などが作られていた。また、先に述べた樽屋町と絹屋町を区分する背割の区画溝が敷地の最奥に位置している。 中世段階では、1615年の大坂夏の陣で被災した遺構面とその時に機能していた濠を1 条検出した。この濠は夏の陣のあと、埋め立てられて近世町屋へと変貌する。 それ以前には、先の濠よりも北側に3 条の濠が掘削されていた。これらの濠は同時存在ではなく、都市域を拡張するかのように掘削と埋め戻しを繰り返していた。 一番北で検出した濠は、堺環濠都市遺跡で発見されている濠の中でも、最大級のもので、1586年に豊臣秀吉が出した埋め戻し令によって埋め戻されたと想定出来るものであった。 中世以前には後背湿地が広がっていた。耕作が行われた痕跡を明らかには出来なかったが、牛や人の足跡を検出することが出来たので、何らかの人為的な活動が営まれたことが推定できる。

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