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県道広野小高線関連遺跡発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/23515
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.23515
引用表記 公益財団法人福島県文化振興財団 遺跡調査部 2017 『福島県文化財調査報告書517:県道広野小高線関連遺跡発掘調査報告』福島県教育委員会他
公益財団法人福島県文化振興財団 遺跡調査部 2017 『県道広野小高線関連遺跡発掘調査報告』福島県文化財調査報告書517
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書名 県道広野小高線関連遺跡発掘調査報告
発行(管理)機関 福島県教育委員会 - 福島県
有償頒布・配布ページ https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/70017a/
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな けんどうひろのおだかせんかんれんいせきはっくつちょうさほうこく
副書名 南代遺跡
巻次 1
シリーズ名 福島県文化財調査報告書
シリーズ番号 517
編著者名
編集機関
公益財団法人福島県文化振興財団 遺跡調査部
発行機関
福島県教育委員会
福島県文化振興財団
福島県土木部
発行年月日 20170324
作成機関ID
郵便番号 9608688
電話番号 0245211111
住所 福島県福島市杉妻町2−16
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 南代遺跡
遺跡名かな みなみだいいせき
本内順位
遺跡所在地 福島県双葉郡楢葉町大字下繁岡字南代
所在地ふりがな ふたばぐんならはまちおおあざしもしげおかあざみなみだい
市町村コード 07542
遺跡番号 112
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 371712
東経(世界測地系)度分秒 1410046
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.286666 141.012777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140421-20150129
20150421-20160121
調査面積(㎡)
3800
調査原因 道路建設(県道広野小高線)に伴う記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
製鉄
時代
弥生
奈良
主な遺構
竪穴住居
竪穴状遺構
製鉄遺構
木炭窯
土坑
溝跡
特殊遺構
焼土遺構
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
鉄製品
羽口
通風管
炉壁
鉄滓
特記事項 南代遺跡は、弥生時代中期の集落跡、奈良時代の製鉄跡からなる複合遺跡である。
要約 南代遺跡は、井出川北側の段丘上に所在する。弥生時代中期の集落跡は、竪穴状遺構1軒で構成される小規模なものである。
奈良時代の製鉄跡は、段丘平坦面の周縁に長方形箱形炉1基、調査区を東西に横切る谷を挟んだ両側に竪形炉11基、谷の南側に同時期の木炭窯跡6基が確認されている。長方形箱形炉の周囲には、竪穴住居跡および粘土採掘坑が確認され、同時期に機能したと想定される。また、長方形箱形炉の廃絶時には鉄刀を置き、廃滓による埋戻しを行っている。竪形炉群は谷の北側に主に構築される。谷の北側の竪形炉は原型をとどめるものには調査区内では確認できず、構築と破壊が繰り返されている。これら廃滓は谷に向かう流路中に投棄され、その量は28tに上る。谷の南側の竪形炉は重複はなく、炉の形態をある程度残しているが、土坑の一端に炉を構築したものなど特異な形態のものも見られる。
木炭窯跡はいずれも地下式木炭窯跡であり、これらに道路状遺構や粘土採掘坑が重複して構築されていることなどから、製鉄遺構に燃料を供給したものと考えられる。
従来、相馬地域の旧宇田・行方両郡においては、古代に製鉄が大規模に行われていたことが知られていた。本遺跡が属する旧石城郡内においても、同様な大規模な製鉄が行われていたことを示す資料となった。 

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