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千葉市向城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22584
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22584
引用表記 千葉市教育振興財団埋蔵文化財調査センター 2010 『千葉市向城跡』千葉市教育振興財団埋蔵文化財調査センター
千葉市教育振興財団埋蔵文化財調査センター 2010 『千葉市向城跡』
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wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=渉|last=古谷|title=千葉市向城跡|origdate=2010-03-31|date=2010-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/22584|location=千葉市中央区南生実町1210|ncid=BB05271549|doi=10.24484/sitereports.22584}} 閉じる
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書名 千葉市向城跡
発行(管理)機関 千葉市埋蔵文化財調査センター - 千葉県
書名かな ちばしむかいじょうせき
副書名
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
千葉市教育振興財団埋蔵文化財調査センター
発行機関
千葉市教育振興財団埋蔵文化財調査センター
発行年月日 20100331
作成機関ID 12100
郵便番号 2600814
電話番号 0432665433
住所 千葉市中央区南生実町1210
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 向城跡
遺跡名かな むかいじょうせき
本内順位
遺跡所在地 千葉市緑区板倉町33-1,34の各一部
所在地ふりがな ちばしみどりいたくらちょう33-1、34の1のかくいちぶ
市町村コード 12105
遺跡番号 5386
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 353037.40
東経(世界測地系)度分秒 1401525.67
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.510388 140.25713
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090625-20090804
調査面積(㎡)
875
調査原因 電気(携帯電話基地局)
遺跡概要
種別
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
土器
特記事項 主な時代:縄文前期
種別
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
主な遺物
土師器
特記事項
種別
城館
時代
中世(細分不明)
主な遺構
主な遺物
銭貨(聖宋元寶)
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑
炭窯
主な遺物
砥石
特記事項 土坑9基(内炭窯3基)
要約 向城跡は中世城館跡として周知されており、周辺には同時代の城館跡が多数存在している。戦国時代酒井氏が土気城跡を本城(根拠地)として、周辺に出城や砦を配置していたと推測され、向城跡もその出城の一つであったと考えられている。丘陵上の上段から中世城郭に伴う郭が1か所、中・近世の土坑9基(うち炭窯3基)が検出された。斜面部の中段、下段からは遺構は検出されなかったが、縄文土器、土師器、砥石、銭貨(聖宋元寶)などの遺物が出土した。現状では郭、腰郭、土塁、空堀などが認められ、急峻な地形を利用した連郭式の城郭であることがわかる。隣接する板倉城跡とともに南の本納方面からの攻撃に備える作りとなっている。今回の調査では中世城郭に伴う遺構は検出されなかったが、郭と考えられる削平部分が確認され、中世戦国時代の城館跡としての位置づけを追認する結果となった。今後は周辺遺跡群との関係を踏まえて、土気遺跡群内での位置づけを行っていくことを課題としたい。

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