菅谷遺跡群4

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143026
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.143026
引用表記 高崎市教育委員会 2025 『高崎市文化財調査報告書516:菅谷遺跡群4』高崎市教育委員会
高崎市教育委員会 2025 『菅谷遺跡群4』高崎市文化財調査報告書516
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=芳昭|last=田辺|first2=芳昭|last2=南雲|title=菅谷遺跡群4|origdate=2025-03-28|date=2025-03-28|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/143026|location=群馬県高崎市高松町35番地1|doi=10.24484/sitereports.143026|series=高崎市文化財調査報告書|volume=516}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 菅谷遺跡群4
発行(管理)機関 高崎市 - 群馬県
書名かな すがやいせきぐんよん
副書名 菅谷高畑土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 高崎市文化財調査報告書
シリーズ番号 516
編著者名
編集機関
高崎市教育委員会
発行機関
高崎市教育委員会
発行年月日 20250328
作成機関ID 10202
郵便番号 3708501
電話番号 0273211292
住所 群馬県高崎市高松町35番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 菅谷大福寺遺跡 1次
遺跡名かな すがやだいふくじいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市菅谷町
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしすがやまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
調査面積(㎡)
573
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴建物跡
井戸跡
溝跡等
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
遺跡名 菅谷紺屋貝戸遺跡 1次
遺跡名かな すがやこんやかいどいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市菅谷町
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしすがやまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
20000522-20050318
調査面積(㎡)
1644
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
集落
田畑
時代
古墳
主な遺構
竪穴建物跡
水田跡
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴建物跡
井戸跡
溝跡
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
遺跡名 菅谷高畑遺跡 1次
遺跡名かな すがやたかはたいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市菅谷町
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしすがやまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
20000522-20130911
調査面積(㎡)
1771
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
田畑
時代
古墳
中世(細分不明)
主な遺構
水田跡
主な遺物
特記事項
種別
田畑
時代
平安
主な遺構
水田跡
主な遺物
特記事項
種別
城館
時代
中世(細分不明)
主な遺構
堀跡
主な遺物
軟質陶器
特記事項
遺跡名 菅谷高貝戸遺跡 1次
遺跡名かな すがやたかかいどいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市菅谷町
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしすがやまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
20000522-20130328
調査面積(㎡)
1279
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴建物跡
井戸跡
溝跡
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 平安時代道路遺構(東山道国府ルート)
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝跡
主な遺物
特記事項
種別
田畑
時代
古墳
主な遺構
水田跡
主な遺物
特記事項
遺跡名 菅谷大房遺跡 1次
遺跡名かな すがやだいぼういせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市菅谷町
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしすがやまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
20090601-20100113
調査面積(㎡)
447
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
井戸跡
溝跡
主な遺物
軟質陶器
特記事項
遺跡名 菅谷新田遺跡 1次
遺跡名かな すがやしんでんいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市菅谷町
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしすがやまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
20010801-20170331
調査面積(㎡)
4054
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
集落
田畑
時代
古墳
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴住居跡
水田跡
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
田畑
時代
奈良
平安
主な遺構
水田
竪穴式住居跡
溝跡
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
遺跡名 菅谷西宿遺跡 1次
遺跡名かな すがやにしじゅくいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市菅谷町
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしすがやまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
20130411-20170331
調査面積(㎡)
1104
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴建物跡
溝跡
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝跡
土坑
主な遺物
特記事項
遺跡名 菅谷村前遺跡 1次
遺跡名かな すがやむらまえいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市菅谷町
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしすがやまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
20010801-20170331
調査面積(㎡)
4605
調査原因 区画整理
遺跡概要
種別
集落
田畑
時代
奈良
平安
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴住居跡
溝跡
土坑
水田跡
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝跡
土坑
主な遺物
特記事項
種別
田畑
時代
古墳
主な遺構
水田跡
主な遺物
特記事項
要約 【菅谷大福寺遺跡 1次】
菅谷遺跡群の北東端に位置する。平安時代(9世紀)を主体とする集落跡。

【菅谷紺屋貝戸遺跡 1次】
菅谷遺跡群内を北西-南東方向に分断する谷地形の東側に位置し、平安時代(9世紀)を主体とする集落跡である。古墳時代の竪穴建物跡は前期(4世紀後半)が2棟、終末期(7世紀)が1棟確認されている。また谷の縁辺部で古墳時代水田跡(Hr-FA下)がみられる。

【菅谷高畑遺跡 1次】
遺跡群中央部に位置し、古墳時代(7世紀頃)より集落が形成され、平安時代の10世紀頃まで継続する。調査で確認された竪穴建物跡のうち大部分が9世紀代のもので、南方を通過する推定東山道駅路(国府ルート)(9世紀後半以降の
成立)との関連が注意される。なお集落跡の一部下層で古墳時代水田跡(Hr-FA下)が確認された。また、中世には菅谷城が構築され、関連する堀などの遺構がみられる。

【菅谷高貝戸遺跡 1次】
菅谷遺跡群内を北西-南東方向に分断する谷地形の西側に位置し、古墳時代(7世紀頃)より集落が形成され、平安時代(9世紀)では、南方を通過する推定東山道駅路(国府ルート)の整備および成立と連動するように、竪穴建物の増加がみられる。なお谷地形縁辺には古墳時代(Hr-FA下)の水田跡がみられた。

【菅谷大房遺跡 1次】
菅谷遺跡群南端の中央付近に位置し、推定東山道駅路(国府ルート)の北隣接地である。竪穴建物跡の確認は無く、中世頃と判断される溝跡や井戸跡が確認された。

【菅谷新田遺跡 1次】
菅谷遺跡群北西部に位置する。殆どが低地だが東縁辺部が高まり、隣接する菅谷高畑遺跡の7世紀~9世紀の集落が広がりを見せる。一方低地部では古墳時代(As-C下、As-C主体層下、Hr-FA下)の水田跡および平安時代(As-B下)の水田跡が確認された。なお5世紀後半の竪穴建物跡が1棟確認されており、古墳時代の水田跡との関連が注意される。

【菅谷西宿遺跡 1次】
菅谷遺跡群北西端付近に位置し、東に隣接する菅谷新田遺跡に比べて地形がやや高まる。平安時代(9世紀)の小規模な集落が形成される。溝跡や土坑が多数確認されるが、As-B降下以降のものが多い。

【 菅谷村前遺跡 1次】
菅谷遺跡群南西部に位置する。北半は菅谷新田遺跡から連続する低地で、南半は微高地へと移行する。微高地上では8世紀頃より集落が形成され、9世紀では南方を通過する推定東山道駅路(国府ルート)の整備および成立と連動するように、竪穴建物の著しい増加がみられる。一方、低地部では古墳時代(As-C下、As-C主体層下、Hr-FA下)の水田跡および平安時代(As-B下)の水田跡が確認された。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 412
ファイルダウンロード数 : 802

全国のイベント

>> 確認する

外部出力

BibTeX
TSV
JSON