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崇元寺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139496
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.139496
引用表記 那覇市 市民文化部 文化財課 2024 『那覇市文化財調査報告書120:崇元寺跡』那覇市
那覇市 市民文化部 文化財課 2024 『崇元寺跡』那覇市文化財調査報告書120
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書名 崇元寺跡
発行(管理)機関 那覇市 - 沖縄県
書名かな そうげんじあと
副書名 史跡指定に係る調査報告
巻次
シリーズ名 那覇市文化財調査報告書
シリーズ番号 120
編著者名
編集機関
那覇市 市民文化部 文化財課
発行機関
那覇市
発行年月日 20240328
作成機関ID 47201
郵便番号 9008585
電話番号 0989173501
住所 沖縄県那覇市泉崎1-1-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 崇元寺跡
遺跡名かな そうげんじあと
本内順位
遺跡所在地 沖縄県那覇市泊1丁目
所在地ふりがな おきなわけんなはしとまり
市町村コード 47201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 261314
東経(世界測地系)度分秒 1274126
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 26.220555 127.690555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210123-20210325
調査面積(㎡)
200
調査原因 史跡指定に係る遺構確認調査
遺跡概要
種別
社寺
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
グスク
琉球王朝
主な遺構
正廟基壇
東庁基壇
西庁基壇
神厨基壇
前堂基壇
主な遺物
青磁
青花
瑠璃釉
白磁
タイ産土器
本土産磁器
本土産陶器
沖縄産施釉陶器
沖縄産無釉陶器
金属製品(釣灯籠・建具・鉄釘等)
石製品(礎盤・石材等)
特記事項 1982年実施の範囲確認調査に続き、崇元寺の建物基壇が原位置を推認できる程度に残っていることを確認した。
要約  祟元寺は、現在の那覇市泊1丁目にあった臨済宗寺院である。山号は霊徳山で、円覚寺の末寺であった。本尊は聖観世音菩薩である。第二尚氏王家の廟所であり、舜天から尚泰までの歴代国王の霊位を祀る国廟であった。冊封使来琉の際には、首里城での冊封の式典に先立ち、薨去した前王を祀る先王諭祭の儀礼が行われた。
 今回実施した崇元寺跡の遺構確認調査は、現地での調査作業を令和2年度の2021(令和3)年2月1日から3月11日まで実施した。戦災で壊滅する前の状況を今に伝える田辺泰『琉球建築』に掲載された崇元寺堂宇配置の実測図と、那覇市教育委員会による1982年発掘調査(那覇市教育委員会『崇元寺跡―範囲確認発掘調査概報』1983年3月)の成果を参考に、祟元寺公園内に所在する崇元寺跡の現況での遺構確認調査を実施した。調査坑を田辺作成の実測図に基づき7箇所に設定し、各々に調査地の北西から時計回りで1から7までの通し番号を付与した。調査坑2を除いた他の調査坑は、1982年に発掘調査が実施されていない場所に設定した。その結果、調査坑1~7のすべてから崇元寺の建築物に関連する遺構が検出された。
 調査坑1では、神厨跡の基壇や礎石等が検出された。調査坑2では、1982年調査で検出された正廟跡の基壇西辺の一部を再度確認した。調査坑3では庫裏基壇の南西隅や正廟基壇東辺に付帯する石製階段が、調査坑4では東庁基壇北東隅が検出された。調査坑5では、東庁基壇南辺や惜字炉の一部、前堂基壇北辺の東側が検出された。調査坑6では前堂基壇北西隅が、調査坑7では西庁基壇南西隅が検出された。
 これらの成果は、1982年調査と同様、祟元寺の建物基礎の規模やその配置がわかる程度には遺構が残存していることを示すものと考えられる。また、ある程度の誤差はあるが、田辺図の堂宇配置部分の正確さを裏付けるものともなった。
 文献・絵画等調査からは、国宝に指定された尚家文書を活用して、円覚寺・天王寺・天界寺といった他の宗廟との違いなどが明らかにでき、崇元寺が儒教要素の強い中国的な寺院と性格づけられた。

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