新宮城下町遺跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/131530 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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DOI | http://doi.org/10.24484/sitereports.131530 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用表記 | 公益財団法人和歌山県文化財センター 2021 『新宮城下町遺跡』公益財団法人和歌山県文化財センター | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公益財団法人和歌山県文化財センター 2021 『新宮城下町遺跡』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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書名 | 新宮城下町遺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | (公財)和歌山県文化財センター - 和歌山県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | しんぐうじょうかまちいせき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 新宮市文化複合施設建設に伴う発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
公益財団法人和歌山県文化財センター
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発行機関 |
公益財団法人和歌山県文化財センター
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発行年月日 | 20210331 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 302015 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 6408301 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0734723710 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 和歌山県和歌山市岩橋1263番地の1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 近世の遺構としては、武家屋敷地を画する延長31 mに及ぶ石垣を検出した。この石垣については、一部造り替えが認められるものの近世初頭の造作と考えられるものである。また近世の絵図に描かれた竹矢町通りを検出し、その道幅や側溝の有無など、当時の城下町の構造の一端を知る資料を得ることができた。 中世前期の遺構としては、径1 m、深さ1.5 mを越える土坑を数多く検出した。この具体的な用途について判然とし得なかったが、この遺構からは平安時代末~鎌倉時代にかけての渥美・常滑の壺、甕のほか渥美を主体とする山茶碗が多く出土している。 中世後期の遺構としては、貯蔵施設と考えられる地下式の倉庫を数多く検出した。これらは、湊に係る施設であったものと考えられる。この時期の出土遺物は多く、瀬戸を中心として常滑のほか備前の陶器、南伊勢の土師器の鍋や皿のほか、中国製の磁器についても一定量の出土が認められる。 なお、遺跡全体の消長としては、縄文時代中期から後期、弥生時代後期から古墳時代中期と続くものの、その後平安時代後期頃まで空白期が認められ、盛時は中世後半15 世紀であったことなども判明した。 |