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和歌山城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131527
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.131527
引用表記 公益財団法人和歌山県文化財センター 2021 『和歌山城跡』公益財団法人和歌山県文化財センター
公益財団法人和歌山県文化財センター 2021 『和歌山城跡』
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書名 和歌山城跡
発行(管理)機関 (公財)和歌山県文化財センター - 和歌山県
書名かな わかやまじょうあと
副書名 和歌山県立医科大学薬学部新築に伴う発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
公益財団法人和歌山県文化財センター
発行機関
公益財団法人和歌山県文化財センター
発行年月日 20210319
作成機関ID 302015
郵便番号 6408301
電話番号 0734723710
住所 和歌山県和歌山市岩橋1263番地の1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 和歌山城跡
遺跡名かな わかやまじょうあと
本内順位
遺跡所在地 和歌山県和歌山市七番丁ほか
所在地ふりがな わかやまけんわかやましななばんちょう
市町村コード 302015
遺跡番号 375
北緯(日本測地系)度分秒 341350
東経(日本測地系)度分秒 1351020
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.2339 135.1695
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20171121-20190118
調査面積(㎡)
4159.9
調査原因 大学新築
遺跡概要
種別
城館
時代
弥生
古墳
平安
鎌倉
安土桃山
江戸
主な遺構
水田畦畔
耕作溝
井戸
大溝
土坑
粘土採掘坑
柱穴
礎石建物
石組遺構
石組桝
廃棄土坑
主な遺物
弥生土器
石器
須恵器
土師器
埴輪
黒色土器
瓦器
国産陶器
輸入磁器
土師質土器
瓦質土器
木製品
国産陶磁器
金属製品
銭貨
骨角製品
ガラス製品
動物遺存体
特記事項 【安土桃山時代】桑山期の城下を窺う資料
【江戸時代】多くの井戸を検出。鳥籠・茶筅など豊富な木製品が出土。
要約  和歌山城周辺で人々が生活を始めるのは弥生時代中期に遡る。調査区付近は、集落隣接地の水田などの生産域であった可能性がある。
 古墳時代では須恵器とともに埴輪が出土している。これまでも周辺の調査では埴輪が出土することが多く、付近に埴輪を樹立した古墳があった可能性が高い。古墳の造営主体としては、文献などから大伴氏を挙げることができる。
 古代から中世にかけても水田などとして土地利用が行われ、9~12世紀頃には隣接地に集落等が存在した可能性が高い。古代の蓮華文軒丸瓦の出土から、付近に寺や官衙の存在が窺え、「日本霊異記」にでてくるの「宇治保」との関係が注目される。また、中世において当地は、海部郡雑賀荘の「宇治郷」に比定することもでき、それに属した水田が広がっていたと考えられる。
 安土桃山時代になり、調査区付近は大きく改変が行われ、大溝が掘削される。大溝の東側では集落が存在するが、西側では畠が広がっており、桑山期の城下町は、浅野期以降の城下町とは大きく異なっていることが窺える。和歌山城は岡山を中心に桑山期に石垣を築くなどの普請が行われたとされるが、安土桃山時代の地盤高や大溝の存在・方向などから、現在でも残る和歌山城を囲む内堀は江戸時代以降になって掘削されたものと判断できる。
 16世紀末頃から17世紀初頭にかけて、三の丸西側を中心に一気に砂が堆積して砂丘が形成され、その上に江戸時代の屋敷地が築かれる。調査地は紀州徳川家の家臣である津田家・田宮家・海野家などの屋敷地で 、攪乱が多く調査できた箇所は限定的であったが、屋敷地内の建物や井戸・廃棄土坑などの配置を窺う発見があった。また、屋敷地内の生活の様子や、生産作業を窺う資料を得ることができた。

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