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大県郡条里遺跡8

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/130497
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.130497
引用表記 公益財団法人大阪府文化財センター 2022 『公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書322:大県郡条里遺跡8』公益財団法人大阪府文化財センター
公益財団法人大阪府文化財センター 2022 『大県郡条里遺跡8』公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書322
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書名 大県郡条里遺跡8
発行(管理)機関 大阪府文化財センター - 大阪府
有償頒布・配布ページ https://www.occh.or.jp/?s=book
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな おおがたぐんじょうりいせき
副書名 寝屋川水系改良事業(一級河川恩智川法善寺多目的遊水地)に伴う埋蔵文化財調査報告書
巻次
シリーズ名 公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書
シリーズ番号 322
編著者名
編集機関
公益財団法人大阪府文化財センター
発行機関
公益財団法人大阪府文化財センター
発行年月日 20221028
作成機関ID
郵便番号 5900105
電話番号 0722998791
住所 大阪府堺市南区竹城台3丁21番4号
報告書種別 a01.報告書・概報・要覧(発掘調査・遺跡整備・保存管理計画)
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 大県郡条里遺跡
遺跡名かな おおがたぐんじょうりいせき
本内順位
遺跡所在地 大阪府柏原市法善寺4丁目地内
所在地ふりがな おおさかふかしわらしほうぜんじよんちょうめちない
市町村コード 27221
遺跡番号 69
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343556
東経(世界測地系)度分秒 1353742
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.598888 135.628333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210104-20220131
調査面積(㎡)
4234
調査原因 恩智川法善寺多目的遊水地
遺跡概要
種別
田畑
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
畦畔
土坑
主な遺物
陶磁器
瓦器
黒色土器
土師器
須恵器
鉄製品
木製品
特記事項 古代から中世にかけての条里型地割にもとづく水田・畠を検出
種別
集落
時代
縄文
弥生
古墳
古代(細分不明)
主な遺構
方形周溝墓(墳丘墓)
土坑
主な遺物
須恵器
土師器
弥生土器
縄文土器
木製品
石棒
特記事項 弥生時代中期後葉・庄内式期後半~布留式期初頭の方形周溝墓(墳丘墓)を検出
要約  今回の調査では、縄文時代晩期前葉~中葉の流路を検出し、堆積物の検討と放射性炭素年代測定によって、既往の調査で検出されていた流路との関係を明らかにした。
 縄文時代の流路の痕跡である窪地(放棄流路)内およびその周辺から、弥生時代前期に属する土坑を検出した。これらは、水に関連する作業に用いられたと想定される。
 弥生時代中期後葉に築造された2号墓は、長辺24.7m、短辺17.9mの方形周溝墓(墳丘墓)である。墳丘は古墳時代前期以降に削剥され、主体部は残存していなかった。その規模は、大阪市加美遺跡Y1号墳丘墓とほぼ同じである。墳丘肩部や周構内からは、広口壺・把手付台付鉢・甕・高杯などの破片が出土した。
 庄内式期後半~布留式期初頭に築造された1号墓は、長辺13.0m、短辺10.0~10.5mの方形周溝墓(墳丘墓)である。墳丘は古代の耕作に伴って削られ、残存していなかった。周溝内からは庄内型甕・直口壺などが出土した。
 古墳時代前期中葉に属すると考えられる、東南東ー西北西方向に平行してのびる3本の溝を検出した。これらの続きは既往調査地でも検出されており、180以上にわたって断続的にのびていることが確認された。
 弥生時代後期から古代にかけて、南西ー北東方向にのびる溝がほぼ同じ位置に掘削され続けたことが確認された。これらの溝の続きは周辺の調査地からも検出されており、灌漑用水路であった可能性が考えられる。
 14世紀頃の第7a層上面において、幅約10mの坪境溝を検出した。これは、当時の基幹水路であったと推定される。

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