奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41234 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132423 件
( 前年度比 + 1738 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147544 件
( 前年度比 + 2104 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

岡山城本丸跡・二の丸跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129963
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.129963
引用表記 岡山県古代吉備文化財センター 2022 『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告258:岡山城本丸跡・二の丸跡 』岡山県教育委員会
岡山県古代吉備文化財センター 2022 『岡山城本丸跡・二の丸跡 』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告258
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=剛|last=和田|first2=英樹|last2=柴田|first3=|last3=株式会社古環境研究所|title=岡山城本丸跡・二の丸跡 |origdate=2022-03-18|date=2022-03-18|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/129963|location=岡山県岡山市北区内山下2‒4‒6|ncid=BC13863267|doi=10.24484/sitereports.129963|series=岡山県埋蔵文化財発掘調査報告|volume=258}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 岡山城本丸跡・二の丸跡
発行(管理)機関 岡山県教育委員会 - 岡山県
書名かな おかやまじょうほんまるあと・にのまるあと
副書名 旭川内山下地区河川改修工事に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告
シリーズ番号 258
編著者名
編集機関
岡山県古代吉備文化財センター
発行機関
岡山県教育委員会
発行年月日 20220318
作成機関ID 331015
郵便番号 7008570
電話番号 0862242111
住所 岡山県岡山市北区内山下2‒4‒6
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 岡山城本丸跡 二の丸跡
遺跡名かな おかやまじょうほんまるあと にのまるあと
本内順位
遺跡所在地 岡山県岡山市北区丸の内2丁目3番909ほか
所在地ふりがな おかやまけんおかやましきたくまるのうち2ちょうめ3ばん909
市町村コード 33101
遺跡番号 332012292
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343951
東経(世界測地系)度分秒 1335613
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.664166 133.936944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210106-20210219
調査面積(㎡)
280
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
石垣
溝状遺構
主な遺物
陶磁器
鉄釘
土錘
特記事項 中水手門調査区では石垣根石に接して金箔貼り滴水瓦出土。
要約  調査地点は岡山城本丸の東側河川敷にあたる。この地点には絵図等の記録から、内堀東辺石垣、本丸下の段東辺石垣、二の丸内郭東辺石垣と弓櫓台石垣、及び城内から旭川河川敷に通じる中水手門、下水手門を構成する石垣の存在が予想された。そこで4か所の調査区を設定して調査に着手した。
 中水手門調査区は本丸本段の南東に位置する。調査地点には一部石垣が露出していため、その付近を掘り下げたところ、中水手門を構成する石垣を検出した。中水手門石垣は宇喜多期の瓦が出土する洪水砂層を根切りして築かれていた。併せて、石垣に沿うように掘削された溝状の遺構も検出した。なお、石垣最下層の捨て石に接して宇喜多期の金箔貼り滴水瓦が出土していることから、その構築が慶長5(1,600)年の宇喜多氏改易以後であると想定した。また、枡形石垣の下部構造を被覆する粘土層を確認した。これはその堆積状況から石垣下部構造の流出を防ぐ土居(土塁)であったと考える。この粘土層からは前期池田期の家紋瓦が出土しており、その構築年代は同時期にあたると想定した。また、粘土層の直上に、19 世紀代の瓦や漆喰を含む廃城に伴うとみられる瓦堆積層を確認した。そのため、江戸時代を通じて前期池田期の石垣構造が維持されていたと考える。一方、調査区南部では河川敷へ向かって下る雁木を検出した。この雁木は廃城時のものと考えられる瓦堆積層の上層に構築されているだけでなく、戦災焼土層を切り込んで築かれていることから、現代のものと考えた。
 その他、弓櫓調査区、下水手門調査区では護岸石垣の根石と下部構造を確認した。内堀調査区では現代の護岸工事により石垣の下部構造まで削平が及んでいた。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 405
ファイルダウンロード数 : 295

全国のイベント

外部出力