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大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/122003
引用表記 公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター 2020 『東京都埋蔵文化財センター調査報告354:大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡』公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター 2020 『大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告354
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ファイル
書名 大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな やまとしばむらはんおだけやしきあといせき
副書名 都立新国際高等学校(仮称)新設に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 354
編著者名
編集機関
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
発行年月日 20200731
作成機関ID 13224
郵便番号 2060033
電話番号 0423748044
住所 東京都多摩市落合一丁目14 番2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡
遺跡名かな やまとしばむらはんおだけやしきあといせき
本内順位
遺跡所在地 東京都港区白金二丁目4番地
所在地ふりがな とうきょうとみなとくしろかねにちょうめ4ばんち
市町村コード 13103
遺跡番号 177
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 353830
東経(世界測地系)度分秒 1394358
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.641666 139.732777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20180507-20190228
調査面積(㎡)
3800
調査原因 新国際高等学校(仮称) 新設
遺跡概要
種別
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
縄文土器(早期後半~中期後半)
特記事項 埋没谷中の包含層から遺物が検出された。
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
段切り状遺構
礎石土坑
礎石
石組遺構
石段
地下室
井戸
土坑
ピット
遺物集中
整地層
盛土層
主な遺物
近世陶磁器
土器
ミニチュア
土製品
金属製品
銭貨
木製品
骨角
貝製品
ガラス製品
石製品
特記事項 盛土層/ 整地層による計画的な造成が確認され、台地斜面地を宛がわれた小藩の屋敷経営を考える上で重要な成果が得られた。
要約  大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡は港区白金二丁目に所在し、白金高輪駅から南西約100 mの高台に立地している。御府内沿革図書等の史料によると、万治元年(1658)~貞享4 年(1687)を沢海藩溝口家が、貞享5 年(1688)~明治初期までは織田信長の弟の有楽斎の子孫(四男長政が当主)が居住していた。また明治44 年(1911)には旧宇和島藩伊達家が土地を取得
し、屋敷の表門が江戸東京たてもの園に移築され、江戸時代の雰囲気を強く残す門として当時の面影を伝えている。織田家は江戸時代には1 万石の小大名であり、それに由来すると考えられる遺構が約200 基、運ばれたきた礫を入れて約10 万点の遺物が出土した。検出された遺構は、段切り状遺構、溝、礎石土坑、礎石、石組遺構、地下室、井戸、土坑、ピット、硬化面、盛土
などで、特に井戸や地下室、大形の土坑、盛土等からは構築時期を示唆する遺物が出土している。井戸である066 号遺構からは織田家の「木瓜文」という家紋の入った軒丸瓦の瓦当面や徳利を含む陶磁器、火打ち金や金具等が出土した。遺跡からは、軒桟瓦の小巴部の木瓜文瓦も20 点近く出土している。地下室の050 遺構・052 号遺構からは、彩色された瓶子や銭貨、煙管や砥石
などが出土している。整地した土層の上に構築された礎石土坑は規則的に配置されており、重要な建物が建っていたことが分かる。ゴミ捨て場と思われる大形の土坑(087 号遺構)からは2 万5 千点以上の遺物が出土し、その多様性が明らかになった。北谷部の盛土の調査では5m以上掘削してやっとローム層を掘り込む遺構に達する場合もあった。本調査によって、江戸時代の17 世紀から19 世紀までの小大名屋敷での人々の生活の一端を知ることができた。

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