奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41217 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132410 件
( 前年度比 + 1725 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147533 件
( 前年度比 + 2103 件 )
現在の文化財論文件数
120560 件
( 前年度比 + 1563 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1247 件
( 前年度比 + 197 件 )
※過去開催分含む

城山城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/1117
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.1117
引用表記 財団法人愛知県教育サービスセンター 愛知県埋蔵文化財センター 2005 『愛知県埋蔵文化財センター調査報告書122:城山城跡』財団法人愛知県教育サービスセンター 愛知県埋蔵文化財センター
財団法人愛知県教育サービスセンター 愛知県埋蔵文化財センター 2005 『城山城跡』愛知県埋蔵文化財センター調査報告書122
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=邦仁|last=永井|first2=健司|last2=宮腰|first3=正貴|last3=鈴木|first4=誠一|last4=蔭山|first5=賢二郎|last5=平塚|first6=秀樹|last6=山形|title=城山城跡|origdate=2005-08-31|date=2005-08-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/1117|location=愛知県弥富市前ヶ須町野方802-24|ncid=BA76729162|doi=10.24484/sitereports.1117|series=愛知県埋蔵文化財センター調査報告書|volume=122}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 城山城跡
発行(管理)機関 (公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター - 愛知県
書名かな しろやまじょうあと
副書名
巻次
シリーズ名 愛知県埋蔵文化財センター調査報告書
シリーズ番号 122
編著者名
編集機関
財団法人愛知県教育サービスセンター 愛知県埋蔵文化財センター
発行機関
財団法人愛知県教育サービスセンター 愛知県埋蔵文化財センター
発行年月日 20050831
作成機関ID 32307
郵便番号 4980017
電話番号 0567674161
住所 愛知県弥富市前ヶ須町野方802-24
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 城山城跡
遺跡名かな しろやまじょうあと
本内順位 1
遺跡所在地 愛知県豊田市足助町城山・引陣
所在地ふりがな あいちけんとよたしあすけちょうしろやま・ひきじん
市町村コード 23211
遺跡番号 37110
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350828
東経(世界測地系)度分秒 1371912
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.141111 137.32
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19990707-20020327
調査面積(㎡)
4400
調査原因 国道153号足助バイパス建設に伴う事前調査
遺跡概要
種別
城館
時代
戦国
主な遺構
掘割状通路
堀切
横堀
平場
切岸
竪穴状施設
掘立柱建物
礎石建物など
主な遺物
瀬戸美濃産陶器
中国産青磁
白磁
土師器
石製品
金属製品
鍛冶遺物など
特記事項 戦国時代の山城縁辺部の防御施設
種別
時代
明治
大正
昭和
主な遺構
主な遺物
-野壺
常滑産赤甕
ガラス製品
瀬戸美濃産陶器
特記事項 19世紀後半〜20世紀前半の耕作地
要約 これまで縄張図以外の情報が全くなかった城山城跡について、その範囲を中心に新知見を得た。山城の範囲は考えられていたよりやや広く標高185m前後に外郭防御ラインが設定されていたことが判明した。また山城の築城時期は、主郭部分は不明であるが、出土遺物から古瀬戸末期を遡る可能性が高い。01B区では主郭へ上る堀割状通路の時期、それを埋めて平場を造成した時期に大別される。後者は大窯2期と判断され、横堀出土遺物から大窯4期には山城機能が停止したとみられる。山城廃絶後は明治時代に耕作地化が進み、多数の野壺が埋設される。加えて平安時代の須恵器は当該期に集落が斜面地に営まれた可能性を示している。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 1570
ファイルダウンロード数 : 1207

全国のイベント

外部出力