栗橋宿西本陣跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143184
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.143184
引用表記 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2024 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書481 :栗橋宿西本陣跡』公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2024 『栗橋宿西本陣跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書481
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書名 栗橋宿西本陣跡
発行(管理)機関 (公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団 - 埼玉県
書名かな くりはししゅくにしほんじんあと
副書名 首都圏氾濫区域堤防強化対策における埋蔵文化財発掘調査報告
巻次 4
シリーズ名 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書
シリーズ番号 481
編著者名
編集機関
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20240319
作成機関ID
郵便番号 3690108
電話番号 0493393955
住所  埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
考古資料-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 栗橋宿西本陣跡
遺跡名かな くりはししゅくにしほんじんあと
本内順位
遺跡所在地 埼玉県久喜市栗橋北二丁目3422-2他
所在地ふりがな さいたまけんくりはしきたにちょうめ3422-2ほか
市町村コード 112321
遺跡番号 011
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 360000
東経(世界測地系)度分秒 1395000
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.0 139.833333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20150701-20180930
調査面積(㎡)
調査原因 堤防強化
遺跡概要
種別
その他
時代
江戸
主な遺構
建物跡
基礎状遺構
胞衣埋納遺構
埋設桶
井戸跡
杭列
木桶
溝跡
柵跡
区画施設
焼土遺構
土壙
ピット
主な遺物
陶磁器
土師質土器
瓦質土器
土製玩具
土製人形
木製品
金属製品
石製品
貝製品
骨角製品
硝子製品
布製品
特記事項 近世町屋跡の調査
本書には栗橋宿西本陣跡のうち南側の調査成果を収録要
要約  栗橋宿西本陣跡は利根川右岸に立地する日光道中7 番目の宿場「栗橋宿」の町屋跡である。本書ではこのうち
調査区南側の調査成果を収録した。
 栗橋宿西本陣跡の発掘調査は、19 世紀前葉以降を中心とする第一面、18 世紀中~後葉を中心とする第二、三面
に分けられる。調査の結果、第一面では堅固な基礎構造を持つ建物跡群と、それらに平行する敷地境と考えられ
る溝跡、杭列等が検出された。第二、三面では明確な区画施設が検出されず、19 世紀前半に区画施設の整備が行
われた可能性が窺われた。検出された土壙には、火災に関わる廃棄物を処理したものがみられ、栗橋宿本陣跡で
も検出された火災処理土壙との同時性が見出された。この火災には、史料にみえる文政五年(1822)の栗橋宿大
火が含まれると推定され、火災の広がりを明らかにすると共に、栗橋宿の変遷を考えるうえでの定点資料と位置
付けられる。第三面の整地層の直下に堆積していた砂層の下の造成土から、18 世紀前葉を下限とする遺物が出土
した。この砂層は、寛保二年(1742) もしくは宝暦二年(1752) の洪水に由来する可能性がある。
 遺物は、少量の中国産磁器のほか、国産陶磁器が多量に出土し、組物も多く検出された。土器類では江戸で出
土する製品とは異なる在地の製品が多く認められた。土壙を中心に出土した多種多様な一括遺物は、近世におけ
る地方宿場町の実態を示す良好な資料と位置付けられる。

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