北2丁目陣屋跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143176
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.143176
引用表記 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2024 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書480 :北2丁目陣屋跡』公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2024 『北2丁目陣屋跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書480
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書名 北2丁目陣屋跡
発行(管理)機関 (公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団 - 埼玉県
書名かな きたにちょうめじんやあと
副書名 首都圏氾濫区域堤防強化対策における埋蔵文化財発掘調査報告Ⅱ
巻次 2
シリーズ名 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書
シリーズ番号 480
編著者名
編集機関
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20240319
作成機関ID
郵便番号 3690108
電話番号 0493393955
住所 埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
考古資料-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 北2丁目陣屋跡
遺跡名かな きたにちょうめじんやあと
本内順位
遺跡所在地 埼玉県久喜市栗橋北二丁目3405-1他
所在地ふりがな さいたまけんくきしくりはしきたにちょうめ3405-1ほか
市町村コード 112321
遺跡番号 009
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 360834
東経(世界測地系)度分秒 1394205
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.142777 139.701388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210401-20220831
調査面積(㎡)
2528.42
調査原因 堤防強化
遺跡概要
種別
その他
時代
江戸
主な遺構
石造物基礎跡
石垣
盛土
建物跡
土壙
井戸跡
溝跡
柵列・杭列
主な遺物
陶磁器
土製玩具
土製人形
木製品
金属製品
石製品
硝子製品
骨製品
特記事項 牛頭天王社(八坂神社)境内地の発掘調査を行った。
本殿・拝殿の他、盛土、石垣、境内社、石造物基礎など神社関連の遺構を検出した。
要約  北2丁目陣屋跡は利根川右岸、往昔の栗橋宿北端部に位置する。南東の栗橋宿本陣跡、南西の栗橋宿西本陣跡
と境を接している。
 江戸時代に陣屋が置かれていたとされているため、所在地の名を冠して北2丁目陣屋跡という包蔵地名である。
しかし、陣屋の存在を示唆する遺構や遺物は検出されなかった。
 19 世紀中葉以降の第一面では、八坂神社社殿基礎をはじめとする神社関連の遺構と調査区南西部で遺物包含層
を検出した。18 世紀後葉~ 19 世紀初頭の第二面では、土壙や杭列などを検出したが、建物跡や神社に関連する遺
物は見つかっていない。今回の調査区は、神社境内の主要部にあたる。境内としては19 世紀初頭以降から整備さ
れたもので、それ以前は別の場所にあった可能性が高い。
 第一面で検出した社殿跡は、大掛かりで堅固な基礎地業が行われており、19 世紀中葉頃の土木技術の高さを窺
うことができる。一方、調査区南西部の遺物包含層は、『北2丁目陣屋跡』で報告した包含層と連続するもので、
陶磁器類、土器類等の日常用具を中心に出土した。また、泥面子など玩具類の出土数が多いことは特筆される。
 第二面は、自然堆積した砂層上に遺構が構築されていた。埋没した流路跡も検出されたことから、一定の土地
改変を行いながら生活面として使用したことが窺える。土壙覆土の上層に浅間A テフラが混入していたことから、
第二面の時期は、天明三年(1783)を含む前後の段階と考えられる。

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