菖蒲平台遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143051
引用表記 公益財団法人かながわ考古学財団 2023 『かながわ考古学財団調査報告335:菖蒲平台遺跡』公益財団法人かながわ考古学財団
公益財団法人かながわ考古学財団 2023 『菖蒲平台遺跡』かながわ考古学財団調査報告335
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ファイル
書名 菖蒲平台遺跡
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな しょうぶひらだいいせき
副書名 新東名高速道路(秦野市菖蒲地区)建設事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 335
編著者名
編集機関
公益財団法人かながわ考古学財団
発行機関
公益財団法人かながわ考古学財団
発行年月日 20230925
作成機関ID
郵便番号 2320033
電話番号 0452528689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3-191-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 菖蒲平台遺跡
遺跡名かな しょうぶひらだいいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県秦野市菖蒲外、秦野市八沢字鶴牧田33先
所在地ふりがな かながわけんはだのししょうぶほか、はだのしはっさわあざつるまきた33さき
市町村コード 14211
遺跡番号 138
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352223.18
東経(世界測地系)度分秒 1390928.19
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.373105 139.15783
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20161116-20170315
20170616-20170713
調査面積(㎡)
2496
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
散布地
時代
近代(細分不明)
主な遺構
畝間状遺構1
溝2
主な遺物
特記事項 耕作地。
種別
散布地
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
土坑1
主な遺物
特記事項
種別
散布地
時代
弥生
主な遺構
土坑1
主な遺物
特記事項
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
土坑1
主な遺物
土器
石器
特記事項
種別
散布地
時代
旧石器
主な遺構
石器集中6
主な遺物
石器
特記事項 年代測定実施。
要約  菖蒲平台遺跡は、丹沢山から南西に延びる尾根筋の裾付近にあたり、四十八瀬川と濁沢に挟まれた丘陵上に位置している。遺跡は南北に細長いやせ尾根上で、近世面にてわずかに耕作地の跡が確認できたが、中世以前から縄文時代までの遺構は極めて希薄であった。ただ、縄文時代では、早期~後期まで、わずかではあるが土器が確認された。恐らく、尾根筋の通路として縄文時代を通して利用されていたことが窺える。
 一方、ローム層は比較的安定した堆積が認められ、旧石器時代の終末期、ローム層の上位に位置するBB0相当層からは、細石刃を中心とした石器群が発見され、6カ所の石器集中が認められた。細石刃、細石刃石核のほか、叩き石、削器、礫器、錐器などの加工具も共伴し、剥片・砕片などが多数出土している。また、良好な接合資料が得られ、石器製作工程を復元する上で重要な手がかりとなった。こうしたことから、菖蒲平台遺跡は、当該期の石器制作址であったと考えられる。なお、石器集中に伴い炭化物が出土しており、放射性炭素C14年代測定を実施したところ、およそ17,400~17,500年前といった年代観が得られた。

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