奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
38013 件
( 発行機関数 726 機関 )
現在の書誌登録数
132092 件
( 前年度比 + 420 件 )
( 発行機関数 1908 機関 )
現在の遺跡抄録件数
146479 件
( 前年度比 + 728 件 )
現在の文化財論文件数
119431 件
( 前年度比 + 314 件 )
現在の文化財動画件数
1215 件
( 前年度比 + 26 件 )
( 登録機関数 110 機関 )
文化財イベント件数
1076 件
( 前年度比 + 21 件 )
※過去開催分含む

北2丁目陣屋跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/132733
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.132733
引用表記 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2021 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書468:北2丁目陣屋跡』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2021 『北2丁目陣屋跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書468
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=和夫|last=劔持|title=北2丁目陣屋跡|origdate=2021-03-23|date=2021-03-23|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132733|location=埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1|ncid=BC07719710|doi=10.24484/sitereports.132733|series=埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書|volume=468}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 北2丁目陣屋跡
発行(管理)機関 (公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団 - 埼玉県
書名かな きた2ちょうめじんやあと
副書名 首都圏氾濫区域堤防強化対策における埋蔵文化財発掘調査報告
巻次
シリーズ名 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書
シリーズ番号 468
編著者名
編集機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20210323
作成機関ID
郵便番号 3690108
電話番号 0493393955
住所 埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 北2丁目陣屋跡
遺跡名かな きた2ちょうめじんやあと
本内順位
遺跡所在地 埼玉県久喜市栗橋北二丁目3409-2
所在地ふりがな さいたまけんくきしくりはしきたにちょうめ3409-2
市町村コード 112321
遺跡番号 009
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 360834
東経(世界測地系)度分秒 1394205
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.142777 139.701388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190401-20200131
調査面積(㎡)
600
調査原因 堤防強化
遺跡概要
種別
その他
時代
江戸
主な遺構
遺物包含層
流路跡
主な遺物
陶磁器
土製玩具
土製人形
木製品
金属製品
石製品
特記事項 牛頭天王社(八坂神社)境内地を調査した。
絵馬、大山石尊大権現へ奉納した木太刀(納め太刀)が出土した。
要約  北2丁目陣屋跡は利根川右岸、往昔の栗橋宿北端部に位置する。南東の栗橋宿本陣跡、南西の栗橋宿西本陣跡と境を接している。
 遺跡は江戸時代に陣屋が置かれていたとされるため、所在地の名を冠して北2丁目陣屋跡となっているが、陣屋の存在を示唆する遺構や遺物の検出はなかった。
 調査では第一面で遺物包含層、第二面で流路跡がそれぞれ検出された。しかし、近代以降を除けば、本陣跡や栗橋宿跡などに顕著な建物跡や土壙、杭列等の検出は全くなかった。このことから、今回の調査区は町屋部分(居住域)ではなく、牛頭天王社(現在の八坂神社)の境内地であった可能性が高い。
 第一面遺物包含層は、かつて町屋から続いていた湿地、乃至は池沼の底に堆積、形成された土層であると思われる。出土した陶磁器類の主体は、西暦1860 ~ 1870 年代の製品である。
 第二面は厚い砂層で、洪水など激しい流水のあったことを窺わせる。流路跡の中位には浅間A テフラ層が存在することから、流路跡の形成は天明三年(1783)以前である。
 出土した遺物は本陣跡や栗橋宿跡などと同様、陶磁器類、土器類、木製品類を中心とした日常用具である。信仰系の遺物は僅かながら、遺物包含層から絵馬4点、流路跡から納め太刀1点が出土したことは特記される。絵馬は拝み絵馬と呼ばれるもので、ともに合掌して跨坐する着物姿の女性像である。「奉献石尊大権現大天狗小天狗御宝前」と記された納め太刀は現在の大山阿夫利神社へ奉納されたものである。栗橋宿内で大山講が組織され、参詣(大山詣り)が行われていたことを示す貴重な資料である。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 118
ファイルダウンロード数 : 147

全国のイベント

外部出力