奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
38450 件
( 発行機関数 728 機関 )
現在の書誌登録数
132209 件
( 前年度比 + 543 件 )
( 発行機関数 1908 機関 )
現在の遺跡抄録件数
146710 件
( 前年度比 + 950 件 )
現在の文化財論文件数
119614 件
( 前年度比 + 499 件 )
現在の文化財動画件数
1217 件
( 前年度比 + 28 件 )
( 登録機関数 110 機関 )
文化財イベント件数
1080 件
( 前年度比 + 28 件 )
※過去開催分含む

博労町遺跡Ⅱ

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/122541
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.122541
引用表記 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財調査室 2022 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書25:博労町遺跡Ⅱ』一般財団法人米子市文化財団
一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財調査室 2022 『博労町遺跡Ⅱ』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書25
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=浩樹|last=高橋|first2=覚|last2=京嶋|first3=正巳|last3=渡邊|first4=哲弥|last4=酒井|title=博労町遺跡Ⅱ|origdate=2022-03-31|date=2022-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/122541|location=鳥取県米子市福市281番地|ncid=BC1533364X|ncid=BC14752727|doi=10.24484/sitereports.122541|series=一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書|volume=25}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 博労町遺跡Ⅱ
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな ばくろうまちいせきに
副書名
巻次
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 25
編著者名
編集機関
一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人米子市文化財団
発行年月日 20220331
作成機関ID 31202
郵便番号 6830011
電話番号 0859260455
住所 鳥取県米子市福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 博労町遺跡 第2次調査
遺跡名かな ばくろうまちいせき
本内順位
遺跡所在地 鳥取県米子市博労町4丁目
所在地ふりがな とっとりけんよなごしばくろうまち4ちょうめ
市町村コード 31202
遺跡番号 663
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352610
東経(世界測地系)度分秒 1332029
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.436111 133.341388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200912-20210531
調査面積(㎡)
3000
調査原因 小学校校舎等改築工事
遺跡概要
種別
集落
その他の生産遺跡
散布地
時代
縄文
弥生
古墳
奈良
平安
鎌倉
室町
江戸
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
柵列
井戸
土坑
畝間溝状遺構
畠跡
里道
畦畔
主な遺物
縄文土器
弥生土器
石器
土師器
須恵器
移動式竈
石製品
鉄製品
白磁
土師質土器
瓦質土器
漆椀
銅製品
木製品
陶磁器
特記事項
要約  博労町遺跡は、JR米子駅の北約1.3㎞の市街地に位置し、日野川の沖積作用などにより形成された海浜砂丘上に立地している。
 今回の調査では、弥生時代終末~江戸時代の遺構を検出した。
 弥生時代末~古墳時代は、竪穴建物16棟、掘立柱建物5棟、柵列1条、井戸10基、土坑6基、溝2条を検出した。
 奈良~平安時代は、掘立柱建物4棟、竈1基、井戸1基、土坑2基、溝6条を検出した。当該期には第1次調査では、官衙が確認されているが、本調査地では、掘立柱建物が存在するものの、官衙に関わる遺物が出土していないことから、本調査地までは官衙の範囲が広がらないと考えられる。
 鎌倉~室町時代は調査区全域にわたって畠跡と里道、畦畔を検出した。畠跡は南北方向にのびる低湿地と大畦畔及び東西方向にのびる里道によって大きく5区画に分けられている。また、花粉分析や種実同定の結果、イネ・ムギ・ソバ・アズキ・ナスが栽培されていたと推測される。
 江戸時代は溝15条、土坑1基を検出した。これらは平行あるいは直交するようにのびており、畠の区画あるいは用水として用いられていたと考えられる。第1次調査では、綿井戸と呼ばれる灌漑用の井戸が検出されているが、本調査地では1基しか検出されておらず、調査地の北東側を流れる米川から直接導水したと考えられる水路(SD13)が存在することから、主に用水路を用いて灌漑が行われたと考えられる。
 なお、遺構は検出されていないが、縄文時代晩期の突帯文土器と弥生時代中~後期の土器が検出した。第1次調査では、当該期の遺物は出土しておらず、調査地周辺での活動や集落の形成などが伺える。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 317
ファイルダウンロード数 : 305

全国のイベント

外部出力