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並松町遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/65617
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.65617
引用表記 公益財団法人大阪府文化財センター 2012 『公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書231:並松町遺跡』公益財団法人大阪府文化財センター
公益財団法人大阪府文化財センター 2012 『並松町遺跡』公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書231
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書名 並松町遺跡
発行(管理)機関 大阪府文化財センター - 大阪府
有償頒布・配布ページ https://www.occh.or.jp/?s=book
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな なみまつちょう いせき
副書名 大阪府道高速大和川線建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書
シリーズ番号 231
編著者名
編集機関
公益財団法人大阪府文化財センター
発行機関
公益財団法人大阪府文化財センター
発行年月日 20120900
作成機関ID
郵便番号 5900105
電話番号 0722998791
住所 大阪府堺市南区竹城台3丁21番4号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 並松町遺跡
遺跡名かな なみまつちょういせき
本内順位
遺跡所在地 大阪府堺市堺区並松町 外
所在地ふりがな おおさかふさかいしさかいくなみまつちょう ほか
市町村コード 27141
遺跡番号 365
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343543
東経(世界測地系)度分秒 1352907
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.595277 135.485277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20110201-20120131
20120201-20120928
調査面積(㎡)
1694
調査原因 大阪府道高速大和川線建設
遺跡概要
種別
集落
交通
時代
弥生
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
道路遺構
土坑
井戸
木組み
水溜遺構
主な遺物
弥生土器
土師質土器茶釜
土師質土器
陶器
磁器
瓦質土器
瓦類
土製品
貝製品
銭貨
金属製品
特記事項 ・包含層より、弥生時代後期~古墳時代前期の遺物が1点出土。
・包含層より、中世末期~近世初頭の遺物が1点出土。
・紀州街道の調査。街道の西側で、洪水の痕跡を検出。街道の東側で、近世後半の遺構群と大量の遺物を検出。
要約  紀州街道の本体に初めて考古学的調査のメスが入った調査である。古代や中世にも熊野参詣により、利用されていた熊野街道に関連するものとの期待があったが、調査の結果、この地に街道が通るのは、近世後半(18世紀)以降であることが判明した。これ以前は、住吉大社と堺環濠都市を結ぶ道は、調査区以外の場所を通っていたことになる。
 遺構面の下には、約1mの厚さをもつ均質な細砂層が堆積しており、砂堆上に立地していることがわかる。遺物はほとんど出土しなかったが、細砂層の下から検出された黒色粘土層が、放射性炭素年代測定により、弥生~古墳時代という結果が出た。現在では考えにくいが、調査地一帯が、近世初頭にいたるまで、人跡未踏の地であったことが推測される。
 街道の西側(海側)では、大規模な洪水の痕跡がみられ、遺構はほとんど残存していない。安政大地震などによる津波の影響が考えられ、紀州街道の西側には大きな被害が出ていたことが推測される。
 街道の東側では、津波の影響はほとんどなかったものと考えられ、遺構・遺物が多く検出された。後世の聖地などで、遺構の細かい時期はわからなかったが、18世紀後半以降に存続していたものといえる。近世から現代まで存続していたものも多く、井戸などは多くの廃棄物によって埋められていた。

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