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金沢城跡-鼠多門・鼠多門橋Ⅱ-

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/91591
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.91591
引用表記 石川県金沢城調査研究所 2021 『金沢城公園整備事業に係る埋蔵文化財調査報告書15:金沢城跡-鼠多門・鼠多門橋Ⅱ-』石川県金沢城調査研究所
石川県金沢城調査研究所 2021 『金沢城跡-鼠多門・鼠多門橋Ⅱ-』金沢城公園整備事業に係る埋蔵文化財調査報告書15
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書名 金沢城跡-鼠多門・鼠多門橋Ⅱ-
発行(管理)機関 石川県金沢城調査研究所 - 石川県
有償頒布・配布ページ http://www.pref.ishikawa.lg.jp/joho/koukai/yuusyou.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな かなざわじょうあと-ねずみたもん・ねずみたもんばしⅡ-
副書名 金沢城史料叢書
巻次 40
シリーズ名 金沢城公園整備事業に係る埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 15
編著者名
編集機関
石川県金沢城調査研究所
発行機関
石川県金沢城調査研究所
発行年月日 20210331
作成機関ID 172014
郵便番号 9200918
電話番号 0762239696
住所 石川県金沢市尾山町10-5
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 金沢城跡
遺跡名かな かなざわじょうあと
本内順位
遺跡所在地 石川県金沢市丸の内
所在地ふりがな いしかわけんかなざわしまるのうち
市町村コード 172014
遺跡番号 130200
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363358
東経(世界測地系)度分秒 1363935
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.566111 136.659722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140901-20141031
20150521-20151218
20160516-20161216
20170426-20171215
20180426-20180831
調査面積(㎡)
20
550
810
800
120
調査原因 活用目的調査
遺跡概要
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
建物遺構
石垣
橋脚遺構
主な遺物
陶磁器
石製品
金属製品
木製品
特記事項
要約  金沢城鼠多門・鼠多門橋の復元整備に伴う遺構確認調査を実施した。鼠多門復元整備に係る遺構の報告については、「鼠多門・鼠多門橋Ⅰ」で行った。本報告は、下層遺構や出土遺物及び鼠多門橋についてである。
 鼠多門が位置していた玉泉院丸には、明治15年に旧金沢陸軍監獄署が置かれ、その建物基礎の遺構が良好に残っていた。復元整備に干渉する範囲にあるそれら遺構については、調査を実施した上で解体撤去した。建物基礎の下からは、鼠多門創建以前の下層遺構が検出された。特筆すべきは、礎石を多数確認したことで、それらの礎石は一様に被熱しており、建物は火事により焼失したものと推測された。
 礎石建物は出土遺物から17世紀初頭頃にはあったとみられ、その礎石の上に盛られた造成土は17世紀前半代までに収まる遺物を包含しており、17世紀前半に焼失したと推定した。その頃、金沢城内の建物が焼失した火災に寛永8年(1631)の大火があり、礎石建物もその時に焼失したものと推測される。
 礎石建物は、焼土を含む層で覆われていたが、鼠多門調査区全般で検出されたことから、玉泉院丸の北部には下層遺構が広がっているとみられ、既調査である南西石垣の調査でも焼土層は確認されており、さらに南側にも広がりをもっていたことが推測された。
 下層遺構の検出によって、鼠多門の創建時期についても、報告書Ⅰでは側壁石垣の石垣編年で寛永頃と推定していたが、寛永8年の大火後に創建された可能性が高くなった。礎石を覆う造成土は建物焼失後、それほど間を置かずに行われたと考えられるので、寛永11年(1634)に行われたとされる玉泉院丸庭園の作庭とそれほど時期差がなかった。
 鼠多門橋の調査では、明治10年(1877)に撤去された橋脚の遺構を確認したほか、それ以前の橋脚に係る遺構も確認した。鼠多門創建時期に合わせて造られたとみられる寛永期の鼠多門橋創建も含めて4回の変遷を推定できる成果が得られた。検出した橋脚の柱については、樹種同定や放射線年代測定を実施した。
 遺物では、黒漆喰仕上げの海鼠漆喰の出土が特筆される。鼠多門の周囲からの出土であることから、鼠多門焼失前に海鼠壁から剝がれ落ちたものと推定した。これまでの建造物の復元整備では、規模や柱位置等については発掘調査の成果をもとに設計等が行われてきたが、外観については現存する江戸後期の石川門や三十間長屋を参考にしてきた。今回の黒漆喰仕上げの海鼠漆喰の出土によって、発掘調査の成果が外観の意匠を決定するのに大きな役割を果たした。

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