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立岩遺蹟

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70328
引用表記 立岩遺蹟調査委員会(飯塚市教育委員会内) 1977 『立岩遺蹟』立岩遺蹟調査委員会(飯塚市教育委員会内)
立岩遺蹟調査委員会(飯塚市教育委員会内) 1977 『立岩遺蹟』
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ファイル
書名 立岩遺蹟
発行(管理)機関 飯塚市 - 福岡県
書名かな たていわいせき
副書名
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
立岩遺蹟調査委員会(飯塚市教育委員会内)
発行機関
立岩遺蹟調査委員会(飯塚市教育委員会内)
発行年月日 19770300
作成機関ID
郵便番号 8208501
電話番号 0948225500
住所 福岡県飯塚市新立岩5番5号
報告書種別
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
タイトル 南海産貝輪に関する考古学的考察と出土地名表
英語タイトル
著者
三島 格
橋口 達也
ページ範囲 284 - 300
NAID
都道府県
時代
文化財種別
遺跡種別
遺物(材質分類)
学問種別
テーマ
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約)
所収遺跡
遺跡名 立岩・堀田遺蹟
遺跡名かな たていわ・ほったいせき
本内順位
遺跡所在地 福岡県飯塚市立岩1760-5
所在地ふりがな ふくおかけんいいづかしたていわ1760-5
市町村コード 40205
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 333904.7
東経(世界測地系)度分秒 1304136.2
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.651305 130.693388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19630601-19630611
19630612-19630625
19650322-19650404
調査面積(㎡)
560
調査原因 採土工事
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
甕棺40
土壙墓1
袋状竪穴(貯蔵穴)26
主な遺物
前漢鏡10
金属器
貝輪
玉類
石包丁
特記事項 出土品は、弥生時代を研究する上で貴重な資料としてその価値が認められ、昭和52年に国の重要文化財となっている。
要約  飯塚市の北部、嘉麻川と穂波川の合流点に近い遠賀川右岸には、南北に延びる標高100m内外の丘陵がいくつも連なっている。この丘陵群のひとつである立岩丘陵の標高37mの位置に立岩・堀田遺跡は立地する。
 採土工事中に発見され、昭和38年から昭和40年まで3次にわたる発掘調査が実施された。遺構として甕棺墓40基、土壙墓1基、貯蔵穴26基が検出された。甕棺墓は弥生時代中期中頃~後期前半頃のものである。8基の甕棺墓と土壙墓から副葬品が出土している。貯蔵穴は弥生時代前期後半~中期前半頃のものである。
 10号甕棺墓は、石蓋単棺を埋置した成人用甕棺墓である。石蓋には長さ118cm、幅80cm、最大厚16cmを測る板状の花崗岩を使用している。甕棺は口径68.4cm、胴部最大径86.5cm、器高117cmを測り、重量は75kgである。甕棺内面全体に丹が塗られていた。棺内から副葬品として前漢鏡6面、銅矛1本、鉄剣1本、鉇1本、砥石2個が出土した。甕棺墓は弥生時代中期後半頃のもので、そのころの北部九州地方では春日市須玖岡本遺跡D地点甕棺墓、糸島市三雲南小路遺跡甕棺墓に次ぐ有力首長墓である。
 28号甕棺墓は、石蓋単棺を埋置した成人用甕棺墓である。甕棺内面全体に丹が塗られていた。棺内から副葬品として管玉553個、ガラス製丸玉1個、ガラス製棗玉1個、塞杆状ガラス器5個、前漢鏡1面、素環頭刀子1本が出土した。玉類は原形を推定復原できる状態で検出され、管玉・ガラス製丸玉・ガラス製棗玉については額の両側に垂飾りが付いた頭飾りとして、塞杆状ガラス器については髪にさした笄として復原されている。
 34号甕棺墓は、石蓋単棺を埋置した成人用甕棺墓である。棺内から良好な状態で成年男性人骨が遺存しており、その右前腕には着装されたままの状態で貝輪14個が残っていた。副葬品としては、前漢鏡1面、鉄戈1本が出土した。
 甕棺墓からの出土品は、日本の弥生文化を研究する上で貴重な資料としてその価値が認められ、昭和52年に国の重要文化財となっている。堀田遺跡については、昭和62年に飯塚市指定史跡になっている。

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