URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/25720
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引用表記 |
財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ− 2011 『京都府遺跡調査報告集』財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
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財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ− 2011 『京都府遺跡調査報告集』
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=康正|last=奈良|first2=一樹|last2=黒坪|first3=茂治|last3=引原|first4=崇史|last4=筒井 |first5=史子|last5=松尾|title=京都府遺跡調査報告集|origdate=2011-03-30|date=2011-03-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/25720|location=京都府向日市寺戸町南垣内40番の3|ncid=AA12324901|ncid=BA86283401|volume=146}}
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ファイル |
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書名 |
京都府遺跡調査報告集 |
発行(管理)機関 |
(公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
- 京都府
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書名かな |
きょうとふ いせき ちょうさ ほうこくしゅう |
副書名 |
|
巻次 |
146 |
シリーズ名 |
|
シリーズ番号 |
|
編著者名 |
|
編集機関 |
財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
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発行機関 |
財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
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発行年月日 |
20110330 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
617-0002 |
電話番号 |
075-933-3877 |
住所 |
京都府向日市寺戸町南垣内40番の3 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
松山遺跡 第4次 |
遺跡名かな |
まつやまいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
京都府京丹後市大宮町森本地内 |
所在地ふりがな |
きょうたんごしおおみやちょうもりもとちない |
市町村コード |
26212 |
遺跡番号 |
6536 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
353515 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1350803 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.5875 135.134166
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
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調査期間 |
20100525-20101028
|
調査面積(㎡) |
1,850
|
調査原因 |
ほ場整備 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
縄文土器
石鏃
石斧
石錘
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
弥生土器
石鏃
石剣
石斧
砥石
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
土坑
土石流
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
仿製鏡
紡錘車
勾玉
管玉
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
火葬墓
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
陶器
中国製陶磁器
鉄釘
中国銭
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
柿谷古墳・美濃山遺跡 |
遺跡名かな |
かきたにこふん・みのやまいせき |
本内順位 |
2 |
遺跡所在地 |
京都府八幡市内里柿谷、美濃山大塚 |
所在地ふりがな |
やわたしうちさとかきたに、みのやまおおつか |
市町村コード |
26210 |
遺跡番号 |
24・25 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
345054 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1354316 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
34.848333 135.721111
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20100726-20110113
|
調査面積(㎡) |
400
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
古墳
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
木棺墓
甕棺墓
土壙
|
主な遺物 |
須恵器
土師器
胡籙
鉄鏃
刀子
鉄剣
轡
鎌
砥石
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
平安
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
須恵器
瓦
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
瓦器
石造五輪塔
中国製白磁
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
上狛北遺跡 第1次 |
遺跡名かな |
かみこまきたいせき だい1じ |
本内順位 |
3 |
遺跡所在地 |
京都府木津川市山城町上狛宝本・西浦代ほか、椿井柳田 |
所在地ふりがな |
きづがわしやましろちょうかみこまたからもと・ にしうらだいほか、つばいやなぎだ |
市町村コード |
26214 |
遺跡番号 |
41・84 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
344516 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1354854 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
34.754444 135.815
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
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調査期間 |
20091027-20100225
|
調査面積(㎡) |
1000
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
弥生土器
|
特記事項 |
遺跡名:上狛北遺跡第1次・柳田遺跡 遺跡名かな:かみこまきたいせき だい1じ・やなぎだいせき |
種別 |
古墳
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
瓦
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
柱穴
土坑
溝
|
主な遺物 |
土師器
瓦器
陶磁器
瓦質土器
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
椿井遺跡 第3・4次 |
遺跡名かな |
つばいいせき |
本内順位 |
4 |
遺跡所在地 |
京都府木津川市山城町椿井松尾・御霊後 |
所在地ふりがな |
きづがわしやましろちょうつばいまつお・ごりょうご |
市町村コード |
26214 |
遺跡番号 |
42 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
344527 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1354908 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
34.7575 135.818888
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
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調査期間 |
20091028-20100218
20100810-20101121
|
調査面積(㎡) |
1200
1050
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
|
時代 |
旧石器
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
ナイフ型石器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
流路
|
主な遺物 |
石鏃
剝片
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
方形周溝墓
竪穴式住居跡か?
土坑
流路
|
主な遺物 |
弥生土器
|
特記事項 |
|
種別 |
古墳
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
横穴式石室
|
主な遺物 |
須恵器
鉄器
装身具
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
飛鳥白鳳
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
柵列
土坑
|
主な遺物 |
土師器
瓦器
|
特記事項 |
|
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|
要約 |
[松山遺跡第4次 要約] 検出した溝から、縄文時代から近世に到るまでの多量の遺物が出土し、縄文時代から中世まで、調査地の近隣で断続的に人々の生活が営まれていたことが判明した。また、遺物包含層からは、古墳時代前〜中期にかけての遺物が中心に出土し、小型丸底壺・ミニチュア土器・高杯等の器種が多く、赤色顔料を塗布したもの、2次的に火を受けたものも散見されることから、祭祀的性格の濃い遺物群であると言える
[柿谷古墳・美濃山遺跡 要約] 柿谷古墳は、6世紀中頃に築造された木棺を直葬する方墳でることが判明した。八幡市地域では古墳時代後期には横穴が数多く造られており、この地域の古墳時代を考える上で、重要な資料となる。美濃山遺跡では、古墳時代から中世にかけての遺構を確認した。遺構密度は疎らであるが、調査地点が集落遺跡の縁辺部であることも関係しているものと考えられる
[上狛北遺跡第1次・柳田遺跡 要約] 調査の結果、古墳時代・奈良時代・中世の各時期の遺構・遺物を検出した。次年度以降に調査区を拡張して全面的な調査を実施することになった
[椿井遺跡第3・4次 要約] 旧石器時代のナイフ型石器が1点出土し、木津川市内では2例目の事例となった。縄文時代 の石器も出土し、当地域の歴史を知るための貴重な資料である。また地表面では観察できな い古墳が2基見つかり、丘陵上に後期古墳が分布する可能性がある。古墳1の石室は、羨道 部と玄室とに段差がある竪穴系横口式石室で、導入期の石室の一つと考えられることから、 南山城地域の導入期の石室の様相を考える資料となる。飛鳥時代の溝や建物は、白鳳期に松 尾廃寺が創建される契機となるような土地利用の状況が想定される |