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下永林遺跡 (しもながばやしいせき) : 古代蝦夷 (えみし) の聖地

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/132932
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.132932
引用表記 盛岡市遺跡の学び館 2023 『下永林遺跡 (しもながばやしいせき) : 古代蝦夷 (えみし) の聖地』盛岡市遺跡の学び館
盛岡市遺跡の学び館 2023 『下永林遺跡 (しもながばやしいせき) : 古代蝦夷 (えみし) の聖地』
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書名 下永林遺跡 (しもながばやしいせき) : 古代蝦夷 (えみし) の聖地
発行(管理)機関 盛岡市遺跡の学び館 - 岩手県
書名かな しもながば やし い せき : こだい えみし の せいち
副書名
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
盛岡市遺跡の学び館
発行機関
盛岡市遺跡の学び館
発行年月日 20230327
作成機関ID 032018
郵便番号 0200866
電話番号 0196356600
住所 岩手県盛岡市本宮字荒屋13番1号
報告書種別
配布資料(現地説明会・展示解説・発表要旨)・講演会資料集・ガイドブック
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 下永林遺跡
遺跡名かな しもながばやしいせき
本内順位
遺跡所在地 岩手県盛岡市津志田14地割、三本柳10地割、ほか
所在地ふりがな いわてけんもりおかしつしだ14ちわり、さんぼんやなぎ10ちわりほか
市町村コード 032018
遺跡番号 LE27-2054
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 393916
東経(世界測地系)度分秒 1410943
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 39.654444 141.161944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
調査面積(㎡)
調査原因 都南中央第三地区土地区画整理事業 ほか
遺跡概要
種別
古墳
時代
奈良
平安
主な遺構
円形周溝
土抗墓
主な遺物
土師器
須恵器
あかやき土器
赤色顔料
ガラス玉
鉄製品
蕨手刀
特記事項 約100メートル四方の範囲に、奈良時代から平安時代の約40基の墳丘墓(円形周溝)と3基の土坑簿が密集している。一方、当該期の竪穴建物跡など、一般的な集落の遺構は見つかっていない。このことから、周辺の古代の集落(百目木遺跡、西鹿渡遺跡、高櫓A遺跡、荒屋遺跡など)の家父長層の墓域と考えられる。盛岡周辺にはこのような墓域は数カ所確認されており、本遺跡はその中でも特に顕著な様相がうかがえる。北東北の古代の蝦夷エミシと呼ばれた人たちの独特の社会像がうかがえる。
要約 約100メートル四方の範囲に、奈良時代から平安時代の約40基の墳丘墓(円形周溝)と3基の土坑簿が密集している。一方、当該期の竪穴建物跡など、一般的な集落の遺構は見つかっていない。このことから、周辺の古代の集落(百目木遺跡、西鹿渡遺跡、高櫓A遺跡、荒屋遺跡など)の家父長層の墓域と考えられる。盛岡周辺にはこのような墓域は数カ所確認されており、本遺跡はその中でも特に顕著な様相がうかがえる。北東北の古代の蝦夷エミシと呼ばれた人たちの独特の社会像がうかがえる。

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