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水戸城跡(第88次)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/122828
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.122828
引用表記 関東文化財振興会株式会社 2021 『水戸市埋蔵文化財調査報告124:水戸城跡(第88次)』水戸市教育委員会
関東文化財振興会株式会社 2021 『水戸城跡(第88次)』水戸市埋蔵文化財調査報告124
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書名 水戸城跡(第88次)
発行(管理)機関 水戸市 - 茨城県
書名かな みとじょうあと(だい88じ)
副書名 共同住宅建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 水戸市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 124
編著者名
編集機関
関東文化財振興会株式会社
発行機関
水戸市教育委員会
発行年月日 20210730
作成機関ID 082015
郵便番号 310-8610
電話番号
住所 水戸市中央1丁目4番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 水戸城跡
遺跡名かな みとじょうあと
本内順位
遺跡所在地 茨城県水戸市三の丸3丁目21番地
所在地ふりがな いばらきけんみとしさんのまる3ちょうめ21ばんち
市町村コード 08201
遺跡番号 172
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 362216
東経(世界測地系)度分秒 1402848
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.371111 140.48
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200114-20200424
調査面積(㎡)
1166
調査原因 共同住宅建設工事
遺跡概要
種別
その他
時代
奈良
平安
江戸
主な遺構
造成遺構
主な遺物
土師器
須恵器
土師質土器
常滑
瀬戸
舶載磁器
特記事項 江戸前期以前
種別
その他
時代
江戸
主な遺構
掘立柱建物
柱列
礎石列
井戸
埋設遺構
カワラケ集積
主な遺物
土師質土器
瓦質土器
陶器
磁器
特記事項
種別
その他
時代
江戸
明治
主な遺構
礎石建物
土坑
埋設遺構
井戸
主な遺物
土師質土器
瓦質土器
陶器
磁器
ガラス
木製品
銭貨
特記事項 幕末明治
種別
その他
時代
明治
大正
主な遺構
礎石建物
礎石
排水施設
土坑
埋納遺構
配石遺構
主な遺物
土師質土器
瓦質土器
陶器
磁器
土管
煉瓦
特記事項
種別
その他
時代
昭和
主な遺構
土坑
主な遺物
磁器
ガラス
特記事項 現代
要約 江戸時代から明治時代に移行する時代の変革を遺構から確認することができた。幕末明治の廃棄土坑は明治5(1872)年の三階櫓を除き、水戸城の大火による残滓の廃棄されたものであろう。この廃棄土坑には伊藤邸や朝比奈邸の残滓も含まれていると推定される。その後、廃墟と化していた当地は明治20 年代後半には川崎倉庫が建てられた。川崎家は水戸藩2代藩主光圀の時代からの名門で、嘉永2(1625)年初代八衛門を襲名した。明治7(1894)年に川崎組を創立し、明治13(1900)年には川崎銀行に改組した。また、造成遺構は初代藩主頼房による寛永2(1625)年~寛永15(1638)年と想定されたが、五面ある造成遺構の三面造成中から1560 年代の資料が多く出土したことから、佐竹時代あるいは江戸氏後半時代から造成が開始された可能性がある。

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