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備後国府関連遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/72115
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.72115
引用表記 府中市教育委員会 2016 『府中市埋蔵文化財調査報告27:備後国府関連遺跡』府中市教育委員会
府中市教育委員会 2016 『備後国府関連遺跡』府中市埋蔵文化財調査報告27
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書名 備後国府関連遺跡
発行(管理)機関 府中市 - 広島県
書名かな びんごこくふかんれんいせき
副書名
巻次 1
シリーズ名 府中市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 27
編著者名
編集機関
府中市教育委員会
発行機関
府中市教育委員会
発行年月日 20160331
作成機関ID 34208
郵便番号 7260003
電話番号 0847437180
住所 広島県府中市元町1番地5
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
タイトル 備後南部地域の発掘遺跡からみた備後国府
英語タイトル
著者
松下 正司
ページ範囲 255 - 261
NAID
都道府県 広島県
時代 古代(細分不明)
文化財種別
遺跡種別 官衙
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ 制度・政治 その他
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約)
タイトル 各地の国府からみた備後国府の検討
英語タイトル
著者
大橋 泰夫
ページ範囲 262 - 269
NAID
都道府県 広島県
時代 古代(細分不明)
文化財種別
遺跡種別 宮都
遺物(材質分類)
学問種別 考古学
テーマ 制度・政治
他の電子リソース
引用表記
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抄録(内容要約)
所収遺跡
遺跡名 備後国府跡
遺跡名かな びんごこくふあと
本内順位
遺跡所在地 府中市元町、府中市府川町
所在地ふりがな ふちゅうしもとまち、ふちゅうしふかわちょう
市町村コード 34208
遺跡番号 144 302 122 125 147 306 143
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 343413
東経(世界測地系)度分秒 1331401
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.570277 133.233611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19680218-20131016
調査面積(㎡)
11000
調査原因 試掘・確認調査 保存目的調査 記録保存調査
遺跡概要
種別
官衙
社寺
時代
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物
瓦葺礎石建物
区画溝
土塁
掘立柱塀
苑池
井戸
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
奈良三彩
緑釉単彩陶器
緑釉陶器
灰釉陶器
貿易陶磁器
瓦器
国産陶磁器
腰帯具
鋳型
金属製品
人形
特記事項 2013年度までの府中市教育委員会による備後国府跡における発掘調査の総括
要約  本書は、府中市街地遺跡群において実施した備後国府関連遺跡の調査成果をまとめた総括報告書である。
 備後国府については、10世紀に成立した『和名類聚抄』に、「国府在葦田郡」と記述されていたことや、現代に残る「府中」という地名から、現在の府中市街地に所在していたと推定されていた。
 1980年代以降に広島県教育委員会や府中市教育委員会を事業主体として、備後国府探索を目的とした発掘調査が断続的に実施されてきた。その結果、市街地北部の鵜飼町から出口町にかけての東西約3㎞、南北約1㎞の範囲内に、奈良・平安時代の遺跡が分布することが判明した。とりわけ元町を中心とする約1㎞四方の範囲の各所において大規模な建物跡を有する古代の官衙遺跡や寺院跡、祭祀遺跡などが集中する。さらに硯や腰帯具、多種多様な製品を製作した工房の一端を示す遺物、唐三彩・奈良三彩・緑釉陶器などの高級な施釉陶器や銅椀、国府・国司に関わる墨書土器などの遺物が集中的に出土することから、元町を中心とする範囲を国衙もしくはそれに準じる備後国府中枢域と推定することができた。
 元町の東側に所在するツジ地区では、7世紀末ないし8世紀初頭に、正方位を意識した区画溝を伴う掘立柱構造の官衙建物群が造営される。区画溝で区繞される区画の規模は、発掘調査及び地中レーダ探査の結果から、北辺108.1m、東辺121.2m、南辺100.6m、西辺115.0mの方形に巡ることが明らかになった。区画内の建物群は、8世紀中頃に廂を有する大型建物を中心に、瓦葺のものを含む規格性を高めた建物配置へと再構成され、8世紀末ないし9世紀初頭まで継続して機能している。9世紀代に区画溝は消滅するが、廂付建物あるいは礎石建物など格式の高い中心的大型建物と小規模な雑舎的建物で構成される建物群が10世紀末頃まで継続する。地区内では、備後国内において突出した質と量の国産施釉陶器(奈良三彩・緑釉単彩陶器・緑釉陶器・灰釉陶器)や初期貿易陶磁器とともに、硯や須恵器・土師器の供膳具・煮炊具が一定量出土していることから、国府における居所と役所機能を併せもつ国司館としての機能が想定された。さらに、7世紀末頃に備後国府が創設されていた可能性も得られている。11世紀初頭以降、大型建物は見られなくなるが、貿易陶磁器や国産搬入土器など高級食器・奢̪侈品の出土量は12世紀後半までは多く、国司館の機能が残存していたと推定された。しかし、12世紀末から13世紀代に入ってその量は急減する。備後国府の機能の低下あるいは中世府中の中心域の移転という歴史的変遷を具体的に示すものと考えられる。
 元町の西側に所在する金龍寺東地区では、9世紀から10世紀代に苑池を伴う瓦葺礎石建物が機能していたことが判明した。苑池は南北15m以上、東西23m以上の規模で、9世紀代に築造され10世紀代に一部を埋め立てて形を変えている。瓦葺礎石建物は苑池の北東側にあり、四方に階段が設けられた乱石積基壇を伴う四面廂建物で、建物の平面規模は東西16.8m、南北12.0mを測り、建物主軸はほぼ真北である。軒の出は4.5m(15尺)程度であったと推定され、組み物を必要とする格式の高い建物であった。その他の遺構の多くも8世紀から10世紀代のもので、長舎建物をはじめとして正方位を意識した遺構が多く、ツジ地区の大型建物群と同じ8世紀から10世紀末頃に機能していたことなどから、備後国府における宗教施策に関する施設もしくは饗宴施設と推定される。
 この他にも元町一帯には、国分寺の創建に先立つ7世紀末ないし8世紀初頭に建立され、川原寺式、藤原宮式とともにツジ地区出土と同范の平城宮式の軒瓦が出土した伝吉田寺跡、土塁を伴う区画溝とともに「所」あるいは「京」といった墨書土器が出土したドウジョウ地区、ツジ地区と同范の8世紀中頃の平城宮式軒瓦が出土し、総柱の倉庫建物跡が確認された砂山地区、区画溝が確認され10世紀後半から10世紀末の近江産緑釉陶器が大量に出土した大マヘ地区、推定される古代山陽道に近接する場所で、大型の人形や「権介」の墨書土器が出土した鳥居地区などが所在している。
 さらに、府中市街地北方の山塊には、平安時代初頭から南北朝時代にかけての山林寺院「青目寺跡」があり、『続日本紀』に記述のある古代山城「常城」の所在する可能性も指摘されている。式内社や総社をはじめ、国府に関わりの深い神社も府中市街地周辺に点在しており、国府の空間的な広がりを想定することができた。
 以上の事を総合すると、備後国府は国庁が未確定ながら府中市街地に所在していたことは間違いないと判断され、8世紀から12世紀という古代から中世に至る国府の様相をたどる上で重要な価値を有していることが明らかになった。

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