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新堂遺跡
新堂遺跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/131534 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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DOI 二次元コード |
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DOI | http://doi.org/10.24484/sitereports.131534 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用表記 | 公益財団法人和歌山県文化財センター 2023 『新堂遺跡』公益財団法人和歌山県文化財センター | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公益財団法人和歌山県文化財センター 2023 『新堂遺跡』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
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書名 | 新堂遺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | (公財)和歌山県文化財センター - 和歌山県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | しんどういせき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 一般国道42号有田海南道路建設事業に伴う発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
公益財団法人和歌山県文化財センター
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発行機関 |
公益財団法人和歌山県文化財センター
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発行年月日 | 20230310 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 302015 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 6408301 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0734723710 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 和歌山県和歌山市岩橋1263番地の1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 新堂遺跡周辺では弥生時代中期以降、人々が生活していたことが明らかになった。弥生時代の遺構は検出できなかったものの、直近に集落が存在したことが窺え、近くの山頂近くで出土している大峯銅鐸(新堂銅鐸)との関係が注目される。 古墳時代の遺構も検出できていないが、遺物が出土していることからも、遺跡周辺で集落が存在した可能性が考えられる。 古代の遺構は土坑1基のみであるが、遺物は一定量出土している。有田川流域の当該期の遺跡は、山裾や谷あいに位置することから、有田川下流域で平野部が安定するのは、城館などが築かれるようになる中世後半以降であると考えられる。 中世でも鎌倉時代の遺構・遺物は最も多く、調査区域外にも展開が予想できることから、周辺に広く集落が展開していたことが想像できる。当期の供膳具である瓦器と土師器では、瓦器が占める割合が高いことが窺える。 |