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下新田遺跡第6・8・9次調査

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/64097
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.64097
引用表記 新潟市文化財センター 2015 『下新田遺跡第6・8・9次調査』新潟市教育委員会
新潟市文化財センター 2015 『下新田遺跡第6・8・9次調査』
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書名 下新田遺跡第6・8・9次調査
発行(管理)機関 新潟市 - 新潟県
書名かな しもしんでん いせき だい6・8・9じ ちょうさ
副書名 県営ほ場整備事業(経営体育成基盤整備型)道上地区に伴う第3・5・6次発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
新潟市文化財センター
発行機関
新潟市教育委員会
発行年月日 20151225
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 下新田遺跡
遺跡名かな しもしんでんいせき
本内順位
遺跡所在地 新潟県新潟市西蒲区道上字下新田5244番地ほか
所在地ふりがな
市町村コード 15108
遺跡番号 573
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 374520
東経(世界測地系)度分秒 1385653
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.755555 138.948055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20121105-20121214
20130806-20131218
20131111-20131211
調査面積(㎡)
348
1875
120
調査原因 県営ほ場整備事業
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
溝状遺構
ピット
土器棺墓
水田跡・畠跡
下層 : 井戸・土坑
主な遺物
土師器・須恵器
中世土師器
灰釉陶器
土製品
石製品
鍛冶関連遺物
木製品
特記事項 耕作関連遺構(水田・畠)、カマド形土製品 
「日置」墨書土器、土器棺墓
要約 下新田遺跡は、中ノ口川左岸の自然堤防上に立地し、現標高は概ね 1.7 ~2.5m である。上・中・下層に分かれ、ほぼ全ての調査区上層で畠跡や水田跡が明瞭に確認された。また、遺跡の南東側ほど奈良時代の遺物が主体的に出土する下層で検出される遺構が多く、井戸・柱穴・溝状遺構などが確認された。土器は、奈良時代(8 世紀前半)を主体に平安時代(9 世紀後半)の食膳具・貯蔵具・煮炊具が出土しており、北西方向へ場所は移動するものの、断続的に居住地として利用されていた集落跡と考える。また、2 区で「日置」と書かれた墨書土器が出土し、郷名とすれば遺跡を含むこの地域が『和名類聚抄』に記載されている日置郷の一部である可能性が示唆される。さらに、自然科学分析の結果、奈良時代の土器底面に認められる木葉痕が湿地で生育するカワラハンノキと推定され、遺跡内で土器作りが行われていた可能性も考えられる。また、
第 10 次調査で確認された土器棺墓は、県内でも類例が少なく古代の埋葬を考える上で貴重な資料といえる。

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