URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/25209
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引用表記 |
岩手県埋蔵文化財センター 1980 『岩手県埋文センター文化財調査報告書13:盛岡市つなぎ3・つなぎ6・上野・南の又・堂ヶ沢1・2遺跡 雫石町広瀬2遺跡』岩手県埋蔵文化財センター
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岩手県埋蔵文化財センター 1980 『盛岡市つなぎ3・つなぎ6・上野・南の又・堂ヶ沢1・2遺跡 雫石町広瀬2遺跡』岩手県埋文センター文化財調査報告書13
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=恒夫|last=松野|first2=正之|last2=高橋|first3=利幸|last3=工藤|first4=猛|last4=上野|first5=与右エ門|last5=高橋|title=盛岡市つなぎ3・つなぎ6・上野・南の又・堂ヶ沢1・2遺跡 雫石町広瀬2遺跡|origdate=1980-03-25|date=1980-03-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/25209|location=岩手県盛岡市向中野字向中野39-1|ncid=AN00158410|ncid=BN10578738|series=岩手県埋文センター文化財調査報告書|volume=13}}
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ファイル |
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書名 |
盛岡市つなぎ3・つなぎ6・上野・南の又・堂ヶ沢1・2遺跡 雫石町広瀬2遺跡 |
発行(管理)機関 |
(公財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
- 岩手県
|
書名かな |
もりおかしつなぎ3・つなぎ6・かみの・みなみのまた・どうがさわ1・2いせき しずくいしちょうひろせ2いせき |
副書名 |
御所ダム建設関連遺跡発掘調査報告書 |
巻次 |
昭和52年度・53年度 |
シリーズ名 |
岩手県埋文センター文化財調査報告書 |
シリーズ番号 |
13 |
編著者名 |
|
編集機関 |
岩手県埋蔵文化財センター
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発行機関 |
岩手県埋蔵文化財センター
|
発行年月日 |
19800325 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
020 |
電話番号 |
0196-35-6622 |
住所 |
岩手県盛岡市向中野字向中野39-1 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
広瀬2遺跡 |
遺跡名かな |
ひろせ2いせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
岩手県岩手郡雫石町西安庭字広瀬 |
所在地ふりがな |
いわてけんいわてぐんしずくいしちょうにしあにわあざひろせ |
市町村コード |
03301 |
遺跡番号 |
LE23-1263 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
393949 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1405948 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
39.6664 140.9932
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19780710-19781014
|
調査面積(㎡) |
3000
|
調査原因 |
御所ダム建設に伴う緊急発掘調査 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
竪穴住居3
埋設土器2
土坑2
遺物集中区2
|
主な遺物 |
縄文土器(前期 中期 後期 晩期)
大型粗製刃器
石鏃
石錐
石匙
スクレーパー
箆状石器
石斧
石皿
磨石
凹石
砥石
石刀
石棒
|
特記事項 |
|
種別 |
散布地
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
弥生後期土器
|
特記事項 |
|
種別 |
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
溝状遺構2
列石遺構1
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
堂ヶ沢1・2遺跡 |
遺跡名かな |
どうがさわ1・2いせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
岩手県盛岡市繋字堂ヶ沢第8地割 |
所在地ふりがな |
|
市町村コード |
03201 |
遺跡番号 |
LE14-2032 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
394101 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1410105 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
39.6864 141.0146
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19780406-19780708
|
調査面積(㎡) |
4000
|
調査原因 |
御所ダム建設に伴う緊急発掘調査 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
竪穴住居14
土坑5
竪穴状遺構4
埋甕遺構2
集石遺構1
|
主な遺物 |
縄文土器(前期前半 中期後半 後期前葉 晩期)
石鏃
石錐
石匙
スクレーパー
箆状石器
磨製石斧
打製石斧
石錘
凹石
磨石
石皿
砥石
円盤状石製品
|
特記事項 |
岩手県遺跡情報検索システムでは「堂ヶ沢遺跡」 遺跡名:堂ヶ沢遺跡 遺跡名かな:どうがさわいせき |
|
遺跡名 |
南ノ又遺跡 |
遺跡名かな |
みなみのまたいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
岩手県盛岡市繋字南ノ又29〜31地割 |
所在地ふりがな |
いわてけんもりおかしつなぎあざみなみのまた29〜31ちわり |
市町村コード |
03201 |
遺跡番号 |
LE14-0010 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
394040.22 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1410103.32 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
39.677838 141.017588
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19771001-19771130
|
調査面積(㎡) |
3000
|
調査原因 |
御所ダム建設に伴う緊急発掘調査 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
竪穴住居4
土坑6
|
主な遺物 |
縄文土器(早期末〜前期初頭 中期 後期初頭 晩期)
土製円盤
石鏃
砥石
礫石錐
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
平安
|
主な遺構 |
竪穴住居2
竪穴状遺構1
|
主な遺物 |
土師器(甕 坏)
砥石
刀子
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
繋3遺跡 |
遺跡名かな |
つなぎ3いせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
岩手県盛岡市繋字清水端 |
所在地ふりがな |
いわてけんもりおかしつなぎあざしみずばた |
市町村コード |
03201 |
遺跡番号 |
LE24-0003 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
394037 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1410116 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
39.6798 141.0176
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19770418-19771130
|
調査面積(㎡) |
8800
|
調査原因 |
御所ダム建設に伴う緊急発掘調査 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
竪穴住居33
竪穴状遺構
土坑83
炉跡14
埋甕1
|
主な遺物 |
縄文土器(前期 中期 晩期)
斧状土製品
管状土製品
円盤状土製品
石鏃
箆状石器
石匙
スクレーパー
石錘
磨製石斧
打製石斧
磨石
砥石
石棒・石刀・石剣
|
特記事項 |
|
種別 |
散布地
|
時代 |
古代(細分不明)
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
須恵器
|
特記事項 |
|
種別 |
城館
|
時代 |
室町
|
主な遺構 |
門跡2
掘立柱建物跡14
竪穴住居4
大溝1
方形周溝1
土坑
道路状遺構
墓壙
|
主な遺物 |
古瀬戸
|
特記事項 |
種別 : 屋敷跡 |
種別 |
集落
|
時代 |
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
掘立柱建物跡4
|
主な遺物 |
擂鉢
古銭
|
特記事項 |
種別 : 民家跡 |
種別 |
その他
|
時代 |
近代(細分不明)
|
主な遺構 |
土坑
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
繋6遺跡 |
遺跡名かな |
つなぎ6いせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
岩手県盛岡市繋字萪内沢 |
所在地ふりがな |
いわてけんもりおかしつなぎあざしだないざわ |
市町村コード |
03201 |
遺跡番号 |
LE24-0041 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
394031 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1410105 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
39.6781 141.0146
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19770418-19770721
|
調査面積(㎡) |
11000
|
調査原因 |
御所ダム建設に伴う緊急発掘調査 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
竪穴住居1
陥し穴状遺構1
|
主な遺物 |
縄文土器(中期後半)
凹石
礫石錘
|
特記事項 |
|
種別 |
その他
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
土坑1
|
主な遺物 |
弥生土器(後期)
|
特記事項 |
|
種別 |
|
時代 |
平安
|
主な遺構 |
焼土2
|
主な遺物 |
土師器
|
特記事項 |
|
種別 |
その他
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
土坑26
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
上野遺跡 |
遺跡名かな |
かみのいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
岩手県盛岡市繋字上野2地割地内 |
所在地ふりがな |
いわてけんもりおかしつなぎあざかみの2ちわりちない |
市町村コード |
03201 |
遺跡番号 |
LE23-1218 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
394101 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1410146 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
39.6864 141.0259
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19770722-19770919
|
調査面積(㎡) |
400
|
調査原因 |
御所ダム建設に伴う緊急発掘調査 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
竪穴住居1
|
主な遺物 |
縄文土器(前期初頭 中期後葉 後期)
石鏃
石匙
石錐
箆状石器
スクレーパー
|
特記事項 |
|
種別 |
墓
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
土坑(墓壙)12
|
主な遺物 |
弥生土器(後期)
|
特記事項 |
|
|
|
要約 |
[広瀬2遺跡 要約] 遺跡は雫石町役場から南東約4kmに位置し、矢櫃川右岸の狭い段丘上に立地している。標高は180〜184mである。調査の結果、縄文時代の竪穴住居3棟・埋設土器2基・土坑2基・遺物集中区2箇所、時期不明の溝状遺構・列石遺構などが検出された。竪穴住居は3棟とも縄文中期末葉のものである。遺物集中区も同時期のものであり、埋設土器が集中区から検出されている。全体的に見て土器は縄文前期から弥生後期まで不連続に出土している。竪穴住居は段丘の西縁に位置しており、矢櫃川による浸食によって失われた遺構もあったと考えられる。 [堂ヶ沢1・2遺跡(堂ヶ沢遺跡) 要約] 遺跡は田沢湖線小岩井駅より南西約5kmに位置する。雫石川によって形成された洪積低位段丘上にある。標高は183m前後である。調査の結果、堂ヶ沢1遺跡では縄文時代の竪穴住居14棟・土坑5基・埋甕遺構などが検出された。竪穴住居は縄文時代中期中葉が1棟、中期後葉が11棟、残りの2棟が晩期初頭である。中期後葉の竪穴では複式炉が検出されている。埋甕は前期前葉と中期中葉のもので時期が異なる。堂ヶ沢2遺跡は調査の結果(1500平米)、何も検出されていない。 [南ノ又遺跡 要約] 遺跡は雫石川右岸に形成された小規模な段丘上にあり田沢湖線小岩井駅の南南西約3.5kmの位置にある。現在は御所湖に水没している。標高は170〜175mである。調査の結果、縄文時代の竪穴住居4棟・土坑6基、平安時代の竪穴住居2棟・竪穴状遺構1基が検出された。縄文時代の竪穴住居のうち時期が明確なのは1棟で中期末に属する。縄文土器は中期・後期のものが比較的多い。平安時代の遺物には内外面無調整で酸化炎焼成の坏や、墨書土器(土師器坏)が含まれる。須恵器はとても少ない。 [繋3遺跡 要約] 遺跡は洪積低位段丘上に立地し、宅地や農地として利用されている。標高は185m前後である。調査の結果、縄文時代の竪穴住居・土坑・炉跡・埋甕、中世の掘立柱建物跡・門跡・竪穴住居・道路状遺構、近世の掘立柱建物跡などが検出された。縄文時代の竪穴住居は中期末葉が主体でほかには中期中葉、前期初頭がある。中世の掘立柱他獲物跡は室町期の武士階層の館跡と推定され、近世のものは民家跡と考えられる。縄文土器は竪穴住居と同様大木10式に比定されるものが主体を占める。 [繋6遺跡 要約] 遺跡は雫石川右岸の洪積世低位段丘に立地し、標高は176〜185mである。南に隣接して舘市館がある。調査の結果、縄文時代の竪穴住居1棟、弥生時代後期の土坑1基などが検出された。縄文時代の竪穴住居は中期末葉と考えられる。 [上野遺跡 要約] 遺跡は雫石川右岸の段丘上に立地する。標高は184〜186mである。調査の結果、縄文時代の竪穴住居1棟、土坑26基などが検出されている。竪穴住居は出土遺物から縄文時代前期初頭と推定される。土坑の性格は一様ではなく一部は弥生時代以降の墓壙と推定される。
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