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千葉市向ノ台遺跡2

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/22587
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.22587
引用表記 千葉市教育振興財団  2016 『千葉市向ノ台遺跡2』千葉市教育振興財団
千葉市教育振興財団  2016 『千葉市向ノ台遺跡2』
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書名 千葉市向ノ台遺跡2
発行(管理)機関 千葉市埋蔵文化財調査センター - 千葉県
書名かな ちばしむかえのだいいせき2
副書名 宅地造成に伴う埋蔵文化財調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
千葉市教育振興財団 
発行機関
千葉市教育振興財団
発行年月日 20160328
作成機関ID 12100
郵便番号 2600814
電話番号 0432665433
住所 千葉市中央区南生実町1210
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 向ノ台遺跡
遺跡名かな むかえのだいいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉市中央区都町1117-20
所在地ふりがな ちばしちゅうおうくみやこちょう1117-20
市町村コード 12101
遺跡番号 4008
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 353643
東経(世界測地系)度分秒 1400845
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.611944 140.145833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20151001-20151027
調査面積(㎡)
250
調査原因 宅地造成
遺跡概要
種別
貝塚
時代
縄文
主な遺構
炉穴
土坑
主な遺物
土器
特記事項 主な時代 : 縄文早期後葉
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居跡
主な遺物
土器
石器
特記事項 主な時代 : 弥生終末
有角石器
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
主な遺物
土師器
特記事項 主な時代 : 古墳中期
種別
集落
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構
土坑
主な遺物
常滑甕
特記事項
要約 1縄文時代 炉穴は、本遺跡の所在する台地の北側に広く分布していたと考えられる。2弥生~古墳時代 弥生時代後期から終末期と古墳時代中期の集落跡は、台地中央から北側にかけて展開することが考えられる。3有角石器 弥生時代終末期の第23号竪穴住居跡の北西壁際から、有角石器が出土した。有角石器は全国では95例、県内では27例が出土している。市内では、加曽利貝塚の西側周辺から出土した例があるのみで、本報告の資料が2例目となるであろう。4中・近世 溝状遺構は堀跡と考えられ、平成21・22年度で検出した台地整形区画との関連するものと考えられる。時期を限定しうる遺物は出土しなかったが、先年度調査の結果から、概ね15世紀後半から16世紀代に相当すると考えられる。また、覆土中から硬化面と宝永火山灰が認められたことから、後に堀底道として利用され、宝永年間には埋没していたことが考えられる。

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