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員弁郡東員町山田 山田廃寺・西畑遺跡発掘調査報告 

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/142532
引用表記 東員町教育委員会 2025 『東員町埋蔵文化財調査報告書5:員弁郡東員町山田 山田廃寺・西畑遺跡発掘調査報告 』東員町教育委員会
東員町教育委員会 2025 『員弁郡東員町山田 山田廃寺・西畑遺跡発掘調査報告 』東員町埋蔵文化財調査報告書5
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書名 員弁郡東員町山田 山田廃寺・西畑遺跡発掘調査報告 
発行(管理)機関 東員町 - 三重県
書名かな いなべぐんとういんちょうやまだ やまだはいじ にしばたいせき はっくつちょうさほうこく 
副書名 東員第一中学校建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 東員町埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 5
編著者名
編集機関
東員町教育委員会
発行機関
東員町教育委員会
発行年月日 20250331
作成機関ID 243248
郵便番号 5110251
電話番号 0594862816
住所 三重県員弁郡東員町大字山田1700番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
考古資料-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 山田廃寺
遺跡名かな やまだはいじ
本内順位 1
遺跡所在地 三重県員弁郡東員町大字山田
所在地ふりがな みえけんいなべぐんとういんちょうおおあざやまだ
市町村コード 243248
遺跡番号 16
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350430
東経(世界測地系)度分秒 1363510
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.075 136.586111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20240610-20240930
調査面積(㎡)
6200.00
調査原因 東員第一中学校建設事業
遺跡概要
種別
集落
社寺
散布地
時代
縄文
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
柵列
掘立柱建物
盛土
土器埋設遺構
土坑
柱穴
主な遺物
石器(礫器、剥片)
須恵器(坏身、坏蓋、壺、甕)
土師器(長胴壺、皿、焙烙)
山茶碗(碗、小皿)
近世陶磁器(擂鉢、硯)
特記事項 調査面積(6,200㎢)は西畑遺跡分と合わせたものである。
遺跡名 西畑遺跡
遺跡名かな にしばたいせき
本内順位 1
遺跡所在地 三重県員弁郡東員町大字山田
所在地ふりがな みえけんいなべぐんとういんちょうおおあざやまだ
市町村コード 243248
遺跡番号 15
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350430
東経(世界測地系)度分秒 1363510
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.075 136.586111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20240610-20240930
調査面積(㎡)
6200.00
調査原因 東員第一中学校建設事業
遺跡概要
種別
集落
社寺
散布地
時代
縄文
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
柵列
掘立柱建物
盛土
土器埋設遺構
土坑
柱穴
主な遺物
石器(礫器、剥片)
須恵器(坏身、坏蓋、壺、甕)
土師器(長胴甕、皿、焙烙)
山茶碗(碗、小皿)
近世陶磁器(擂鉢、碗)
特記事項 調査面積(6,200㎢)は山田廃寺分と合わせたものである。
要約  本発掘調査の原因となる東員第一中学校建設事業用地は、山田廃寺と西畑遺跡の埋蔵文化財包蔵地範囲にある。この地は、過去の文献から古代員弁郡にあったとされる員弁寺の想定地として考えられていた。本調査において、出土した多くの遺物は8世紀ごろの須恵器や土師器であり、上記に示したような古代寺院や郡衙が存続していた時期と重なるところがある。しかしながら、土地基盤整備事業(昭55)によって埋蔵文化財包蔵地(水田)が大きく改変されてしまっており、残存状況は良くない。縄文時代以前では、R0540SXから出土した礫器が出土したことにより、過去の総合体育館建設に伴う発掘調査で確認されていた縄文時代の痕跡を本調査でも示すことができた。古代から中世については、盛土や棟持柱建物、長胴甕埋納遺構などを検出した。過去の調査と同様に主体となる時期と考えられる。近世以降については、耕作痕や溝などを検出し、遺物も出土していることから、営農に伴い人が住み続けていたと考えられる。

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