奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41268 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132447 件
( 前年度比 + 1763 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147600 件
( 前年度比 + 2158 件 )
現在の文化財論文件数
120578 件
( 前年度比 + 1583 件 )
現在の文化財動画件数
1306 件
( 前年度比 + 122 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1253 件
( 前年度比 + 203 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 全国 > 原遺跡第5次発掘調査概要報告書

原遺跡第5次発掘調査概要報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/115447
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.115447
引用表記 岩沼市教育委員会 2021 『宮城県岩沼市文化財調査報告書27:原遺跡第5次発掘調査概要報告書』岩沼市教育委員会
岩沼市教育委員会 2021 『原遺跡第5次発掘調査概要報告書』宮城県岩沼市文化財調査報告書27
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=隆央|last=川又|first2=裕光|last2=武田|first3=芳宏|last3=兼田|title=原遺跡第5次発掘調査概要報告書|origdate=2021-03-31|date=2021-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/115447|location=宮城県岩沼市桜一丁目6番20号|ncid=BC08005334|doi=10.24484/sitereports.115447|series=宮城県岩沼市文化財調査報告書|volume=27}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 原遺跡第5次発掘調査概要報告書
発行(管理)機関 岩沼市 - 宮城県
書名かな はらいせきだいごじはっくつちょうさがいようほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 宮城県岩沼市文化財調査報告書
シリーズ番号 27
編著者名
編集機関
岩沼市教育委員会
発行機関
岩沼市教育委員会
発行年月日 20210331
作成機関ID 42111
郵便番号 9892480
電話番号 0223221111
住所 宮城県岩沼市桜一丁目6番20号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 原遺跡
遺跡名かな はらいせき
本内順位
遺跡所在地 岩沼市南長谷字原
所在地ふりがな いわぬましみなみはせあざはら
市町村コード 04211
遺跡番号 15053
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 380503
東経(世界測地系)度分秒 1405105
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.084166 140.851388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200714-20201130
調査面積(㎡)
906
調査原因 範囲・内容確認調査
遺跡概要
種別
集落
官衙
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物跡
柱列跡
竪穴建物跡
井戸跡
大型土坑
溝跡
土坑
主な遺物
須恵器
土師器
石製品
特記事項 官衙関連施設の一端と考えられる掘立柱建物跡を確認した。また、7世紀後半の竪穴建物群や9世紀代の区画溝跡、竪穴建物群などを発見した。
要約  原遺跡が所在する岩沼市南西部の玉崎地区は、『延喜式』に記載される「玉前駅家」、多賀城跡出土木簡にみられる「玉前剗」の比定地とされてきた。平成28 年度の圃場整備事業に伴う第1次調査では、掘方規模の大きい柱穴跡、美濃地方で生産されたと考えられる須恵器円面硯が発見され、また翌29 年度に実施した第2次調査では墨書土器や材木塀が発見されたことから、官衙関連施設の可能性が考えられるようになった。さらに平成30 年度に実施した第3 次調査では、主軸が真北方向となる桁行10 間、梁行3間の長舎が同位置で建て替えが行われていることが判明し、建物の機能した時期は8世紀前半から後半と考えられるなどの成果が得られ、第4次調査では8世紀代~9世紀代の掘立柱建物跡を確認し、官衙中枢施設が移動している可能性が得られるなど、これまでの調査によってさらに遺跡の重要性が高まった。
 第5次調査は、第3次調査区の西側で実施した。調査で発見された遺構は掘立柱建物跡6棟、竪穴堤物跡15 棟、柱列跡1列、大型土坑4基、井戸跡2基、溝跡13 条などであり、出土した遺物から7世紀後半から9世紀半ば頃を主体とする。これら遺構群の変遷は、6世紀半ば頃~8世紀初頭頃のⅠ期遺構群では多数の竪穴建物と2棟の掘立柱建物、8世紀前半~後半頃のⅡ期遺構群では掘立柱建物と大型土坑で形成され、8世紀末葉~9世紀半ば頃のⅢ期遺構群は溝で囲まれたれた区画内で竪穴建物や井戸がつくられている。このうちⅡ期のSB01 は、建物の主軸方向がほぼ真北方向に近いことから、第3次調査で発見された長舎と一連の施設と考えられる。出土した遺物の中には猿投窯跡群や湖西窯跡群をで生産されたフラスコ形長頸瓶、会津若松市の大戸窯跡群で生産された長頸瓶がみられる。特に7世紀後半段階での東海地方で生産された須恵器については、これまで市内に点在する横穴墓群からも発見されているものであるが、今回の発見によってこれら横穴墓群の被葬者たちの生活母体が当遺跡地であった可能性がさらに高まった。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 347
ファイルダウンロード数 : 244

全国のイベント

外部出力