奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41222 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132415 件
( 前年度比 + 1730 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147533 件
( 前年度比 + 2103 件 )
現在の文化財論文件数
120560 件
( 前年度比 + 1563 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1247 件
( 前年度比 + 197 件 )
※過去開催分含む

新居見遺跡(1)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/97276
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.97276
引用表記 公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター 2018 『徳島県埋蔵文化財センター調査報告書92:新居見遺跡(1)』徳島県教育委員会他
公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター 2018 『新居見遺跡(1)』徳島県埋蔵文化財センター調査報告書92
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=|last=公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター|first2=|last2=徳島県教育委員会教育文化課 |title=新居見遺跡(1)|origdate=2018-03-23|date=2018-03-23|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/97276|ncid=BB25878344|doi=10.24484/sitereports.97276|series=徳島県埋蔵文化財センター調査報告書|volume=92}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 新居見遺跡(1)
発行(管理)機関 徳島県(徳島県教育委員会) - 徳島県
書名かな にいみいせき1
副書名 四国横断自動車道(阿南~徳島東)(新居見地区)関連埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次 縄文時代・弥生時代篇
シリーズ名 徳島県埋蔵文化財センター調査報告書
シリーズ番号 92
編著者名
編集機関
公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター
発行機関
徳島県教育委員会
公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター
発行年月日 20180323
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 新居見遺跡
遺跡名かな にいみいせき
本内順位
遺跡所在地 徳島県小松島市新居見町字山路27ほか
所在地ふりがな とくしまけんこまつしましにいみちょうあざやまじ
市町村コード 362034
遺跡番号 203-30
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 335943
東経(世界測地系)度分秒 1343349
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.995277 134.563611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100401-20171130
調査面積(㎡)
19687
調査原因 四国横断自動車道 (阿南~徳島東)(新 居見地区)関連
遺跡概要
種別
集落
古墳
時代
縄文
弥生
古墳
飛鳥白鳳
平安
鎌倉
室町
主な遺構
礫床木棺墓
小竪穴石槨墓
区画溝
掘立柱建物
水汲み遺構
土坑
小穴
自然流路
主な遺物
縄文土器
弥生土器
石器
須恵器
土師器
瓦器
陶器
磁器
石製品
木製品
特記事項 人型土偶出土
要約  山路地区では、縄文時代の遺構は柱穴を中心に調査区の北東部を中心に検出され、土偶と晩期後半の凸帯文土器が確認された。弥生時代は中期後半に属する遺構が確認された。古墳時代中期後半から後期後半に属する円墳の周溝や小型埋葬施設が検出された。小築造時期に重なりがあるため、被葬者の階層差が反映されていると考えられる。平安時代末期には大型区画溝が掘削され、掘立柱建物や地鎮祭祀遺構が伴う。大型区画溝の埋没に伴い掘立柱建物数も減少するが鎌倉時代まで存続する。室町時代には、再度区画溝が掘削され掘立柱建物が集中する屋敷地が成立する。
 柳内・高内地区では13 世紀から17 世紀の集落が確認された。区画溝による一辺30 m規模の小型屋敷地が5区画隣接する景観が復元できる。このような屋敷地区画の集合体は中世後半期の普遍的な集落景観であるといえる。ただし、大型建物の存在や今年度出土した和鏡片や貿易陶磁器、茶臼など奢侈品の存在から、高いステイタスをもつ名主クラスの屋敷地群が想定される。
 本遺跡周辺は、古代では勝浦郡四ヶ郷の内、『新居郷』に比定されてきた地域である。その後、10 世紀後半には勝浦川河口附近を中心に成立した「新島庄」の「勝浦庄」に含まれる地域であり、10 世紀前半代に属する区画溝や掘立柱建物群は、『新居郷』に、その後、数が減少するが確認される掘立柱建物等は『新島庄勝浦庄』や高野山領『多奈保』に関連する遺構として位置付ける事が可能である。室町期には集落域が南北約200 mの規模に拡大し、名主クラスとみられる屋敷地群が形成される。広い範囲で中世集落の変遷が確認できる事例は、徳島県下では大柿遺跡(東みよし町)、中庄東遺跡(同)、宮ノ本遺跡(阿南市)など数少なく、新居見・田浦の両遺跡にまたがる広域で確認されたことは、勝浦川流域における開発史を検討する上で極めて重要な知見を得た。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 548
ファイルダウンロード数 : 588

全国のイベント

外部出力