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市内城館・寺院関連遺跡 調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143889
引用表記 金沢市埋蔵文化財センター 2022 『金沢市文化財紀要337:市内城館・寺院関連遺跡 調査報告書』金沢市
金沢市埋蔵文化財センター 2022 『市内城館・寺院関連遺跡 調査報告書』金沢市文化財紀要337
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ファイル
書名 市内城館・寺院関連遺跡 調査報告書
発行(管理)機関 金沢市 - 石川県
書名かな しないじょうかん・じいんかんれんいせき ちょうさほうこくしょ
副書名 梨木城跡・車町ミョウチンヤシキ遺跡・伝元本興寺跡
巻次
シリーズ名 金沢市文化財紀要
シリーズ番号 337
編著者名
編集機関
金沢市埋蔵文化財センター
発行機関
金沢市
発行年月日 20220331
作成機関ID 17201
郵便番号 9200374
電話番号 0762692451
住所 金沢市上安原南60番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 梨木城跡
遺跡名かな なしのきじょうあと
本内順位 1
遺跡所在地 石川県金沢市梨木町
所在地ふりがな いしかわけんかなざわしなしのきまち
市町村コード 17201
遺跡番号 159
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363404
東経(世界測地系)度分秒 1364804
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.567777 136.801111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20020715-20020830
調査面積(㎡)
300
調査原因 学術調査
遺跡概要
種別
城館
時代
室町
戦国
主な遺構
平坦地
盛土
土塁
主な遺物
土師器
中世陶磁器
近世陶磁器
石製品
金属製品
特記事項
遺跡名 車町ミョウチンヤシキ遺跡
遺跡名かな くるままちみょうちんやしきいせき
本内順位 2
遺跡所在地 石川県金沢市車町
所在地ふりがな いしかわけんかなざわしくるままち
市町村コード 17201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363501
東経(世界測地系)度分秒 1364451
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.583611 136.747499
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20060606-20060707
調査面積(㎡)
200
調査原因 学術調査
遺跡概要
種別
社寺
時代
室町
戦国
主な遺構
礎石建物
焼土坑
盛土
主な遺物
土師器
近世陶磁器
特記事項
遺跡名 伝元本興寺跡
遺跡名かな でんもとほんこうじあと
本内順位 3
遺跡所在地 石川県金沢市薬師町
所在地ふりがな いしかわけんかなざわしやくしまち
市町村コード 17201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363558
東経(世界測地系)度分秒 1364258
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.599444 136.716111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20050704-20050719
調査面積(㎡)
5
調査原因 学術調査
遺跡概要
種別
社寺
時代
江戸
主な遺構
主な遺物
土師器
近世陶磁器
石製品
特記事項
要約 城館の主郭平坦面及び土塁の調査。集石や溝跡などを検出したが、具体的な機能は不明である。表土もしくは盛土中から16世紀代、17世紀前半、18世紀以降の遺物が出土した。当城跡には、16世紀末の記録にみえる金沢御堂の旗本衆「奥政堯」が居城していたとの伝承があり、その頃にも城が使用されていた可能性が高まった。また、建物跡などは確認できなかったが、平坦地南側の一部は大規模な盛土によって造成されていたこと及び土塁については、版築状の技法を用いて盛土したものや地山削り出しにて造成したものがあることが明らかとなった。

日蓮宗寺院宝乗寺開祖妙珍に由来するという「ミョウチンヤシキ」と呼称される丘陵地中腹における方3間の礎石建物跡を中心とする調査である。礎石建物跡は御堂の可能性が高く、中世以来の建築技法を用いたものと推察される。近世にも同様の礎石建物は存在するため、礎石跡からだけでは年代比定が困難ではあるが、周囲で16世紀代の土師器皿が出土した点及び現在の宝乗寺が江戸時代前期までには現在地に移転したと考えられる点、当地に宝乗寺の前身があったという伝承といったことを考慮すれば、中世に建立された建物跡である可能性は極めて高い。

本遺跡は、日蓮宗寺院本興寺がもとあったと伝わる場所で、現在の寺院敷地後背丘陵中腹地に所在する。複数の平坦面や土塁状の盛り上がり、塚を確認している。調査対象とした2号塚は塚頂部に方形の石囲い、斜面にも石を用いている。また、塚自体も方形を呈し、長方形の基壇状の盛り上がりの上に立地する。塚の表土中からは18世紀代の陶磁器が出土しており、森本における日蓮宗寺院関連の塚はいずれも18世紀前後の築造年代が想定され、本遺跡の塚についても同様である可能性が今回の調査で高まった。

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