奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41204 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132405 件
( 前年度比 + 1720 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147517 件
( 前年度比 + 2091 件 )
現在の文化財論文件数
120560 件
( 前年度比 + 1563 件 )
現在の文化財動画件数
1297 件
( 前年度比 + 113 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1247 件
( 前年度比 + 197 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 全国 > 金沢城跡切石積石垣確認調査報告書

金沢城跡切石積石垣確認調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131100
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.131100
引用表記 石川県金沢城調査研究所 2022 『金沢城史料叢書42:金沢城跡切石積石垣確認調査報告書』石川県金沢城調査研究所
石川県金沢城調査研究所 2022 『金沢城跡切石積石垣確認調査報告書』金沢城史料叢書42
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=郁乃|last=西田|first2=重徳|last2=滝川|title=金沢城跡切石積石垣確認調査報告書|origdate=2022-03-31|date=2022-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/131100|location=石川県金沢市尾山町10-5|ncid=BC16005679|doi=10.24484/sitereports.131100|series=金沢城史料叢書|volume=42}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 金沢城跡切石積石垣確認調査報告書
発行(管理)機関 石川県金沢城調査研究所 - 石川県
有償頒布・配布ページ http://www.pref.ishikawa.lg.jp/joho/koukai/yuusyou.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな かなざわじょうあときりいしづみいしがきかくにんちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 金沢城史料叢書
シリーズ番号 42
編著者名
編集機関
石川県金沢城調査研究所
発行機関
石川県金沢城調査研究所
発行年月日 20220331
作成機関ID 172014
郵便番号 9200918
電話番号 0762239696
住所 石川県金沢市尾山町10-5
報告書種別
史跡-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 金沢城跡
遺跡名かな かなざわじょうあと
本内順位
遺跡所在地 石川県金沢市丸の内
所在地ふりがな いしかわけんかなざわしまるのうち
市町村コード 17201
遺跡番号 130200
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363358
東経(世界測地系)度分秒 1363935
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.566111 136.659722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170619-20170831
20180521-20180831
20190507-20190903
調査面積(㎡)
20
38
15
調査原因 保存目的調査
遺跡概要
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
石垣
主な遺物
陶磁器
石製品
金属製品
特記事項
要約  切石積石垣確認調査は、埋没している初期の切石積石垣を発掘して、出現期の実態(場所・意匠・技術等)を明らかとすることで、外観や意匠を重視した「見せる石垣」が生み出された技術的・社会的背景を探ることを目的として行われた。 
 数寄屋屋敷北調査区では、対象とした雛土蔵下石垣と数寄屋屋敷北石垣はともに17世紀後半、寛文期に構築されたことを確認した。雛土蔵石垣は最下部の根石から天端に至るまで厳密な企画性を有するが、数寄屋屋敷北石垣は寛永期の古材を転用するなどし、正面を多角形に成形し、面加工も荒々しさを残す。対照的な二つの石垣を配することで、それぞれの意匠を際立たせることを意図した石垣と考えられる。
 玉泉院丸南東調査区周辺は、当初玉泉院丸庭園が作庭された頃は池がこのあたりまで迫っていたが、寛文期の庭園の再整備に際して、粗加工石積を切石積石垣に改築したことを確認した。石垣は現地表下約3.8mまで続いており、地上部と埋没部の大部分は切石積(5期)で積まれているが、基部の3段分は粗加工石積(4期)であった。
 玉泉院丸北調査区では、色紙短冊積石垣は平面的なプランも含め17世紀後半に新設されたことを確認した。色紙短冊積石垣の東面石垣は、粗加工石積で築かれているが、その基部に至るまで5期の様相であった。また、隣接する納戸土蔵下石垣の基部についても同時期に構築されたことを確認した。
 これらの調査から、切石積石垣が玉泉院丸庭園において出現したのは、17世紀後半とみられ、それは、前田家五代綱紀によって行われた庭園の再整備と一体的に進められたと考えられる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 336
ファイルダウンロード数 : 185

全国のイベント

外部出力