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弘前遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/25638
引用表記 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他 2008 『ほ場整備関係(水質保全対策)遺跡発掘調査報告書35-1:弘前遺跡』滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他 2008 『弘前遺跡』ほ場整備関係(水質保全対策)遺跡発掘調査報告書35-1
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=治美|last=中川|title=弘前遺跡|origdate=2008-03|date=2008-03|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/25638|publisher=滋賀県教育委員会事務局文化財保護課|location=滋賀県大津市瀬田南大萱町1732-2滋賀県埋蔵文化財センター内|ncid=BA85497432|series=ほ場整備関係(水質保全対策)遺跡発掘調査報告書|volume=35-1}} 閉じる
ファイル
書名 弘前遺跡
発行(管理)機関 滋賀県埋蔵文化財センター - 滋賀県
書名かな こうまえいせき
副書名 守山市矢島町・赤野井町
巻次 1(2008)
シリーズ名 ほ場整備関係(水質保全対策)遺跡発掘調査報告書
シリーズ番号 35-1
編著者名
編集機関
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
公益財団法人滋賀県文化財保護協会
発行機関
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
公益財団法人滋賀県文化財保護協会
発行年月日 20080300
作成機関ID
郵便番号 520-2122
電話番号 077-548-9780
住所 滋賀県大津市瀬田南大萱町1732-2滋賀県埋蔵文化財センター内
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 弘前遺跡
遺跡名かな こうまえいせき
本内順位
遺跡所在地 滋賀県守山市赤野井町・矢島町
所在地ふりがな しがけんもりやましあかのいちょう・やじまちょう
市町村コード 252077
遺跡番号 207-090
北緯(日本測地系)度分秒 350506
東経(日本測地系)度分秒 1355730
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.0882 135.9555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20040000-20060000
調査面積(㎡)
8944
調査原因 県営農業農村整備事業(水質保全対策事業)
遺跡概要
種別
時代
弥生
主な遺構
方形周溝墓
主な遺物
弥生土器
石錐
石包丁
石槍
特記事項 弥生時代中期
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
土坑
主な遺物
土師器
特記事項 古墳時代前期
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
掘立柱建物
井戸
主な遺物
玉砥石
土師器
須恵器
石釧
双孔円盤
特記事項 古墳時代中期末・南北方位地割
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
大型掘立柱建物
井戸
主な遺物
土師器
製塩土器
玉材料
特記事項 古墳時代後期末・東西棟の大型掘立柱建物・井戸枠に転用された舟・正南北方位地割
種別
集落
時代
飛鳥白鳳
奈良
主な遺構
掘立柱建物
井戸
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 条里畦畔遺構
種別
時代
奈良
平安
鎌倉
主な遺構
掘立柱建物
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
黒色土器
特記事項
要約 [弘前遺跡 要約]
弘前遺跡は滋賀県守山市北西部の野洲川左岸沖積地に立地する。琵琶湖岸から約1km東方に位置し、非常に低い地勢にある。 今回の調査では、琵琶湖側から現集落側に向かう起伏に富んだ地形が判明したと共に、その上に立地する弘前遺跡が、弥生時代中期初頭から近代を経て今日まで連綿と続く複合遺跡であることが明らかになった。 弥生時代中期には方形周溝墓がつくられ、古墳時代前期には祭祀的性格の推定される土坑や溝が見られる。古墳時代中期末には南北方位を主軸とした土地開発が行われ、掘立柱建物や溝、畦畔が検出された。同後期末にはより高い企画性を持って広範囲に展開される。この時期には溝で区画された大型建物や丸木舟を転用した井戸などが検出され、この地域の中心的な役割を果たしたと推定される。飛鳥時代〜奈良時代前半には遺構が希薄となるが、奈良時代後半には条里の施行が認められ、上部構造の残る畦畔遺構や掘立柱建物、素掘り溝群を検出した。その後条里方位の土地開発が広範囲に進められ、現在の水田景観に継承されている。 

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