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散野遺跡(第1地点)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/122737
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.122737
引用表記 株式会社地域文化財研究所 2016 『水戸市埋蔵文化財調査報告75:散野遺跡(第1地点)』水戸市教育委員会
株式会社地域文化財研究所 2016 『散野遺跡(第1地点)』水戸市埋蔵文化財調査報告75
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書名 散野遺跡(第1地点)
発行(管理)機関 水戸市 - 茨城県
書名かな さんやいせき(だい1ちてん)
副書名 新ごみ処理施設整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 水戸市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 75
編著者名
編集機関
株式会社地域文化財研究所
発行機関
水戸市教育委員会
発行年月日 20160331
作成機関ID 082015
郵便番号 310-0852
電話番号 029-306-8132
住所 茨城県水戸市笠原町978-5
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 散野遺跡
遺跡名かな さんやいせき
本内順位
遺跡所在地 茨城県水戸市下入野町2063番地外
所在地ふりがな いばらきけんみとししもいりのちょう2063ばんちほか
市町村コード 08201
遺跡番号 271
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 362001
東経(世界測地系)度分秒 1403147
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.333611 140.529722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
調査面積(㎡)
調査原因
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
主な遺構
竪穴住居跡
炉跡
土坑
主な遺物
縄文土器(深鉢・浅鉢・台付鉢・鉢)
土製品(土器片錘)
弥生土器(壺)
特記事項
種別
集落
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
竪穴建物跡
掘立柱建物跡
ピット
土坑
溝跡
主な遺物
土師器(坏・高台付坏・椀・皿・甕・甑・鉢)
須恵器(坏・高台付坏・盤・蓋・皿・甕・甑・鉢・壺瓶類・高坏・円面硯)
灰釉陶器(壺瓶類・皿)
瓦(平瓦・丸瓦・熨斗瓦)
土製品(土玉・支脚)
石製品(砥石)
鉄製品(鎌・刀子・鎹)
特記事項 8・9世紀代の竪穴建物跡からそれぞれ円面硯が出土し,さらに集落として盛期を迎える9世紀代には墨書土器が多く認められる。少量ではあるものの灰釉陶器などの出土遺物からも一般的な集落とは異なった様相である。平津駅家を中心とした周辺集落跡と類似しており,関連性がうかがえる。
種別
時代
近世(細分不明)
主な遺構
井戸跡
土坑墓
土坑
主な遺物
陶器(土瓶・小坏)
煙管
銭貨(寛永通宝)
特記事項
要約 散野遺跡は,涸沼川に面した標高28 ~ 29 mの台地上に立地し,調査の結果,縄文時代及び古墳時代終末期から奈良・平安時代に営まれた集落跡と判明した。縄文時代は後期・堀之内式期を中心として生活の痕跡が確認され,その後の空白期を経て7世紀後半に再び集落として活動が再開する。奈良・平安時代の集落は8~9世紀代にかけて継続的に機能し,9世紀第2四半期から第4四半期に盛期を迎えていたことが理解されるが,10 世紀代に入り急激に遺構数が減少し断続的となる。そして10 世紀第3四半期を最後に集落としての終焉を迎える。次に生活の痕跡が出現するのは近世で,墓域として利用されている。

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