奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41247 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132429 件
( 前年度比 + 1744 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

松原内湖遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/25645
引用表記 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他 2006 『琵琶湖流域下水道事業(東北部浄化センター増設工事)に伴う発掘調査報告書1:松原内湖遺跡』滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他 2006 『松原内湖遺跡』琵琶湖流域下水道事業(東北部浄化センター増設工事)に伴う発掘調査報告書1
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=洋三|last=横田|first2=孝修|last2=小島|title=松原内湖遺跡|origdate=2006-03|date=2006-03|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/25645|publisher=滋賀県教育委員会事務局文化財保護課|location=滋賀県大津市瀬田南大萱町1732-2滋賀県埋蔵文化財センター内|ncid=BA76610625|series=琵琶湖流域下水道事業(東北部浄化センター増設工事)に伴う発掘調査報告書|volume=1}} 閉じる
ファイル
書名 松原内湖遺跡
発行(管理)機関 滋賀県埋蔵文化財センター - 滋賀県
書名かな まつばらないこいせき
副書名 彦根市松原町
巻次 1
シリーズ名 琵琶湖流域下水道事業(東北部浄化センター増設工事)に伴う発掘調査報告書
シリーズ番号 1
編著者名
編集機関
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
公益財団法人滋賀県文化財保護協会
発行機関
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
公益財団法人滋賀県文化財保護協会
発行年月日 20060300
作成機関ID
郵便番号 520-2122
電話番号 077-548-9780
住所 滋賀県大津市瀬田南大萱町1732-2滋賀県埋蔵文化財センター内
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
情報源上に表示がないため、巻次は推定により補記
所収論文
所収遺跡
遺跡名 松原内湖遺跡
遺跡名かな まつばらないこいせき
本内順位
遺跡所在地 滋賀県彦根市松原町
所在地ふりがな しがけんひこなしまつばらちょう
市町村コード 252026
遺跡番号 206-026
北緯(日本測地系)度分秒 351724
東経(日本測地系)度分秒 1361605
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.2932 136.2652
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20000605-20020331
調査面積(㎡)
27100
調査原因 琵琶湖流域下水道東北部浄化センター増設工事
遺跡概要
種別
その他
時代
江戸
主な遺構
彦根藩火薬庫
武家屋敷
主な遺物
陶磁器
特記事項 火薬庫建物・各施設・基壇建物・階段・溝・布基礎塀・掘立柱門・円形漆喰桝・埋甕・湖東流紋岩
種別
古墳
時代
奈良
平安
主な遺構
古墓
主な遺物
須恵器
土師器
特記事項 種別:墓

焼土坑
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴住居
主な遺物
特記事項
要約 [松原内湖遺跡 要約]
幕末に彦根藩が彦根嬢の北2kmの松原内湖湖畔に設置した火薬庫の調査である。調査の結果、58m×39mの造成地が確認され、多量に出土した瓦や土器類から火薬庫は前期・後期の2時期の施設が存在していたことが確認された。前期火薬庫は後期火薬庫造成時にそのほとんどの遺構を失っていたが、桟瓦葺の建物であったことが出土瓦から判明した。また建設時期は明和4年(1767年)以降であり、1800年前後と考えられる。前期火薬庫の瓦は後期火薬庫の造成時に谷の埋め立てに使用され、谷ひとつをほぼ埋めきっている。 後期火薬庫の施設は火薬庫建物3棟のほか土台を埋設した布基礎構造の塀、掘立柱構造の門、両袖を土塁と石張りの溝で飾った階段などが検出された。また施設の最初の入口として山裾で門・塀を検出している。 火薬庫を管理した役人の武家屋敷として評価される「今村忠右衛門邸」の調査も実施した。50m×25mの規模で内部には建物が敷地一杯に建てられていたことが確認された。火薬庫と並存した施設であるが、後期火薬庫に先んじて機能を停止していたことが指摘される。 下層の遺構として奈良時代から平安時代にかけての焼土坑や、縄文時代晩期の竪穴住居を検出した。 

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 844
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力