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発行機関一覧 (都道府県別) > 全国 > 東京都文京区 本郷台遺跡群 第5地点

東京都文京区 本郷台遺跡群 第5地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/138328
引用表記 テイケイトレード株式会社 埋蔵文化財事業部 2023 『B-186:東京都文京区 本郷台遺跡群 第5地点』株式会社オープンハウス・ディベロップメント
テイケイトレード株式会社 埋蔵文化財事業部 2023 『東京都文京区 本郷台遺跡群 第5地点』B-186
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ファイル
書名 東京都文京区 本郷台遺跡群 第5地点
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうく ほんごうだいいせきぐん だい5ちてん
副書名 (仮称)オープンレジデンシア弥生新築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-186
編著者名
編集機関
テイケイトレード株式会社 埋蔵文化財事業部
発行機関
株式会社オープンハウス・ディベロップメント
発行年月日 20230520
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 本郷台遺跡群 第5地点
遺跡名かな ほんごうだいいせきぐん
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区弥生2-4-10
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくやよい2-4-10
市町村コード 13105
遺跡番号 47
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354255
東経(世界測地系)度分秒 1394545
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.715277 139.7625
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20220307-20220420
調査面積(㎡)
220
調査原因 (仮称)オープンレジデンシア弥生新築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査
遺跡概要
種別
その他
時代
縄文
主な遺構
土坑1基
主な遺物
土器126点
特記事項 種別:屋敷地他
縄文時代中期から晩期にかけての土器片が出土した。
種別
その他
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
土器237点
特記事項 型式不明ながら小破片が出土した。
種別
その他
時代
平安
主な遺構
小穴1基
主な遺物
土師器45点
須恵器1点
特記事項 自然堆積層の第Ⅴ層から8世紀後葉~10世紀初頭の土師器や須恵器が出土した。
種別
その他
時代
江戸
主な遺構
礎石建物跡1棟
畝間溝119条
土器埋納遺構1基
土坑6基
小穴46基
礎石3基
焼土・炭化物集中部1基
硬化範囲2基
遺跡集中部2基
溝状遺構1条
主な遺物
磁器537点
陶器1,027点
炻器38点
土器875点
瓦538点
土製品111点
金属製品200点
石製品18点
自然遺物239点
特記事項 江戸時代の6期にわたる生活面が検出された。第8面(Ⅴ層上面)と第7面(Ⅳ層上面)では主軸方向の異なる畝間溝、第6面(Ⅲc層上面)で土坑・小穴、第5面(Ⅲb層上面)では再び畝間溝、第3面(Ⅱb層上部)で基礎建物跡が検出された。本調査地点では江戸時代を通じて畑作域→建物域→畑作域→建物域という土地利用状況の変遷を捉えることができた。
種別
その他
時代
近代(細分不明)
主な遺構
射的場防護壁1基
礎石建物跡1棟
正確不明遺構1基
主な遺物
煉瓦17点
特記事項 明治10~21(1877~1888)年に存在した射的場防護壁の残存部が検出された。本調査地点は防護壁の南西角付近に位置する。防護壁上面で検出された礎石建物跡は射的場が移転する明治21年以降の所産が考えられる。
要約  本遺跡は武蔵野台地東端を形成する本郷大地の縁辺部に位置し、東側には開析された谷が位置する。現地形は南東方向に傾斜しており、現標高は約13~15mである。東京大学構内の北側と本調査地点の周辺は、元和8(1662)年に水戸藩駒込邸となり当初は下屋敷、元禄6(1693)年以降は中屋敷として利用された。明治時代以降は明治政府に収公され、明治9~21(1876~88)にかけて射的場が造られた。その後は浅野侯爵家などの所有地となり、宅地としての土地利用が行われた。今回の調査の結果、縄文時代から明治時代に至る10期にわたる生活面が確認された。中世以前の遺構は縄文時代土坑1基、平安時代小穴1基のみであるが、遺物包含層中より各時代の土器小片が出土している。江戸時代は17世紀中葉から19世紀中葉に至る6期にわたる生活面が確認された。第8面(Ⅴ層上面)と第7面(Ⅳ層上面)で主軸方向の異なる畝間溝、第6面(Ⅲc層上面)では土坑・小穴、第5面(Ⅲb層上面)では土坑・小穴の他、土器埋納遺構が検出された。さらに第4面(Ⅲa層上面)では畝間溝、第3面(Ⅱb層上部)では礎石建物跡が検出され、江戸時代を通じて畑作域→建物域→畑作域→建物域という土地利用の変遷を捉えることができた。明治時代は第2面(Ⅱa層上面)で、明治初期頃の性格不明遺構1基が検出された。第1面では明治9(1876)年に建設された射的場防護壁の残存部が検出された。防護壁はローム土を積み重ねて構築しており、構築方法の一端を垣間見ることができる。また、防護壁上面で検出された礎石建物跡は、射的場の移転後、宅地化される明治21(1888)年以降の所産と考えられる。今回の調査の結果、本調査地点における水戸藩駒込邸から射的場造成、その後の宅地化に至る土地利用の変遷を詳細に捉えることができた。

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