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発行機関一覧 (都道府県別) > 全国 > 東京都狛江市 弁財天池遺跡

東京都狛江市 弁財天池遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/80878
引用表記 共和開発株式会社 2010 『東京都狛江市 弁財天池遺跡』共和開発株式会社
共和開発株式会社 2010 『東京都狛江市 弁財天池遺跡』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
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ファイル
書名 東京都狛江市 弁財天池遺跡
発行(管理)機関 狛江市 - 東京都
書名かな とうきょうとこまえし べんざいてんいけいせき
副書名 第15次発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
共和開発株式会社
発行機関
共和開発株式会社
発行年月日 20100531
作成機関ID 13219
郵便番号 1830005
電話番号 0423351181
住所 東京都府中市若松町2-8-16 
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 弁財天池遺跡 第15地点
遺跡名かな べんざいてんいけいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都狛江市元和泉一丁目2087番他
所在地ふりがな とうきょうとこまえしもといずみ
市町村コード 13219
遺跡番号 42
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 353800
東経(世界測地系)度分秒 1393436
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.633333 139.576666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090105-20090528
調査面積(㎡)
1523
調査原因 集合住宅建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴住居跡9軒
集石土坑8基
土坑39基
ピット180基
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項
種別
集落
時代
古墳
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡16軒
土坑5基
ピット72基
主な遺物
土師器
須恵器
鉄製品
銅製品
特記事項
種別
集落
時代
江戸
近代(細分不明)
主な遺構
溝状遺構7条
主な遺物
陶磁器
特記事項
要約  弁財天池遺跡は立川段丘上に位置する。弁財天池の湧水を中心に各時代の集落が営まれてきた。発掘調査の結果、近世から近代、古墳時代後期後半から奈良・平安時代、縄文時代の遺構・遺物を検出した。
 近世から近代の遺構として検出されたのは、7条の溝状遺構である。調査区北側に隣接して近世初頭に掘削された六郷用水が、昭和30年代に至るまで存在した。検出された溝状遺構などの遺構の様相、近世~近代の遺物が少ないことなどから、近世の段階ではあまり活発な土地利用がされていなかったものと推定される。
 古墳時代後期後半から奈良・平安時代では、16軒の住居跡、5基の土坑、72基のピットが調査され、当該地の活発な土地利用の痕跡が明らかとなった。住居跡の時期はおよそ7世紀後半から9世紀中頃までの約200年間であり、7世紀後半から8世紀の前半に集落の竪穴住居軒数がもっとも多くなり、ひとつのピークを迎えることが、これまでの弁財天池遺跡の調査成果とも同様の傾向を示し、追認された。
 縄文時代では、縄文時代中期中葉から後葉の住居跡9軒、集石土坑8基、土坑36基、180基のピットが調査された。住居跡の時期は、勝坂2式期~加曽利E1式期である。さらに、調査区北西部には勝坂2式期の住居跡が中心となって存在し、弁財天池遺跡北西部の集落様相が明らかになりつつあるといえる。
 なお、表土中からではあるが、単弁十六葉蓮華文の軒丸瓦が1点出土している。これは、常陸国新治廃寺出土瓦と同笵の瓦である。表土中からのしかも1点のみの出土であるため、本資料については当地にもたらされた時期や背景について慎重な態度をとらざるを得ないが、弁財天池遺跡では、これまでにも平瓦の出土事例もあり、少量ながら瓦が使用されたような施設が存在した可能性は皆無ではない。

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