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別名端谷1遺跡・別名端谷2遺跡・別名成ルノ谷遺跡・別名寺谷1遺跡・別名寺谷2遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24218
引用表記 (財)愛媛県埋蔵文化財調査センタ− 2007 『埋蔵文化財発掘調査報告書139:別名端谷1遺跡・別名端谷2遺跡・別名成ルノ谷遺跡・別名寺谷1遺跡・別名寺谷2遺跡』(財)愛媛県埋蔵文化財調査センタ−
(財)愛媛県埋蔵文化財調査センタ− 2007 『別名端谷1遺跡・別名端谷2遺跡・別名成ルノ谷遺跡・別名寺谷1遺跡・別名寺谷2遺跡』埋蔵文化財発掘調査報告書139
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ファイル
書名 別名端谷1遺跡・別名端谷2遺跡・別名成ルノ谷遺跡・別名寺谷1遺跡・別名寺谷2遺跡
発行(管理)機関 (公財)愛媛県埋蔵文化財センター - 愛媛県
書名かな べつみょうはしだにいちいせき・べつみょうはしだににいせき・べつみょうなるのたにいせき・べつみょうてらだにいちいせき・べつみょうてらだににいせき
副書名 今治新都市開発に伴う埋蔵文化財調査報告書 ; 4
巻次
シリーズ名 埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 139
編著者名
編集機関
(財)愛媛県埋蔵文化財調査センタ−
発行機関
(財)愛媛県埋蔵文化財調査センタ−
発行年月日 20070300
作成機関ID
郵便番号 791-8025
電話番号 089-911-0502
住所 愛媛県松山市衣山四丁目68-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 別名端谷I遺跡
遺跡名かな べつみょうはしだにいちいせき
本内順位
遺跡所在地 愛媛県今治市別名865-1〜870,880〜883-2,887,888
所在地ふりがな えひめけんいまばりしべつみょう
市町村コード 38202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 340256.55
東経(世界測地系)度分秒 1325814.96
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.049041 132.970822
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20020217-20020625
調査面積(㎡)
3060
調査原因 今治新都市開発
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
柱穴
掘立柱建物
段状遺構
土坑
井戸
鍛冶路
主な遺物
亀山焼
弥生土器
須恵器
土師器
赤色塗彩
黒色土器
緑釉
灰釉
銅印
青磁
特記事項 弥生+古代細分不明+中世細分不明鍛冶路7基から成る8〜9世紀の鍛冶工房跡で、包含層からは古代の銅印が出土している。
遺跡名 別名端谷II遺跡
遺跡名かな べつみょうはしだににいせき
本内順位
遺跡所在地 愛媛県今治市別名911,912,矢田乙53,66
所在地ふりがな えひめけんいまばりしべつみょう
市町村コード 38202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 340258.66
東経(世界測地系)度分秒 1325811.95
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.049627 132.969986
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20021226-20030117
調査面積(㎡)
600
調査原因 今治新都市開発
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
古代(細分不明)
主な遺構
埋葬主体
土坑
不明遺構
主な遺物
管玉
鉄剣
鉄斧
ヤリガンナ
特記事項 古墳+古代細分不明古墳時代中期の埋葬主体を確認。
遺跡名 別名成ルノ谷遺跡
遺跡名かな べつみょうなるのたにいせき
本内順位
遺跡所在地 愛媛県今治市別名759〜763
所在地ふりがな えひめけんいまばりしべつみょう
市町村コード 38202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 340246.44
東経(世界測地系)度分秒 1325807.78
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.046233 132.968827
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20020918-20021227
調査面積(㎡)
1200
調査原因 今治新都市開発
遺跡概要
種別
集落
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
柱穴
掘立柱建物
柵列
土壙墓
自然流路
鍛冶路
主な遺物
鉄滓
土師質土器
瓦質土器
青磁
備前焼
古銭
鉄製品
特記事項 古代細分不明+中世細分不明15〜16世紀の鍛冶工房跡。
遺跡名 別名寺谷I遺跡
遺跡名かな べつみょうてらだにいちいせき
本内順位
遺跡所在地 愛媛県今治市別名820〜824-2,827-1〜839-3,918〜920-5,936〜938
所在地ふりがな えひめけんいまばりしべつみょう
市町村コード 38202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 340251.46
東経(世界測地系)度分秒 1325813.15
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.047627 132.970319
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20041021-20051130
調査面積(㎡)
6440
調査原因 今治新都市開発
遺跡概要
種別
集落
製塩
時代
弥生
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
竪穴住居
掘立柱建物
段状遺構
土坑
井戸
鍛冶炉
主な遺物
弥生土器
絵画土器
土師器
須恵器
黒色土器
緑釉
灰釉
風字硯
越州窯青磁
特記事項 弥生+古代細分不明+中世細分不明鍛冶炉29基から成る9世紀後半〜10世紀前半の鍛冶工房跡。また、弥生時代の包含層からは絵画土器が出土している。
遺跡名 別名寺谷II遺跡
遺跡名かな べつみょうてらだににいせき
本内順位
遺跡所在地 愛媛県今治市別名950,矢田乙67,68,75,76
所在地ふりがな えひめけんいまばりしべつみょう
市町村コード 38202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 340254.12
東経(世界測地系)度分秒 1325800.02
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.048366 132.966672
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20030825-20031003
調査面積(㎡)
1700
調査原因 今治新都市開発
遺跡概要
種別
集落
時代
古代(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
須恵器
特記事項
要約 [別名端谷I遺跡 要約]
今治平野北西部の丘陵地帯に広がる弥生時代から中世の遺跡群。  弥生時代では、谷部に形成された弥生時代後期の集落跡を確認。また、別名寺谷I遺跡では、弥生時代中期後半の絵画土器が単独で出土。住居壁面の表現を持つ絵画土器の出土は、日本初である。  古墳時代では、別名端谷II遺跡で、古墳時代中期に比定される埋葬主体を確認した。  古代では、別名端谷I遺跡・別名寺谷I遺跡で8〜10世紀前半頃の鍛冶工房跡を確認。伊予国府・越智郡衙・周辺の製鉄関連遺跡との関連が注目される。  中世では、15〜16世紀の遺構・遺物が確認された。なかでも、別名成ルノ谷遺跡の鍛冶工房跡は遺構の配置状況を良く示しており、「別名」・「多々羅」の地名との関連が注目される。
[別名端谷II遺跡 要約]
今治平野北西部の丘陵地帯に広がる弥生時代から中世の遺跡群。  弥生時代では、谷部に形成された弥生時代後期の集落跡を確認。また、別名寺谷I遺跡では、弥生時代中期後半の絵画土器が単独で出土。住居壁面の表現を持つ絵画土器の出土は、日本初である。  古墳時代では、別名端谷II遺跡で、古墳時代中期に比定される埋葬主体を確認した。  古代では、別名端谷I遺跡・別名寺谷I遺跡で8〜10世紀前半頃の鍛冶工房跡を確認。伊予国府・越智郡衙・周辺の製鉄関連遺跡との関連が注目される。  中世では、15〜16世紀の遺構・遺物が確認された。なかでも、別名成ルノ谷遺跡の鍛冶工房跡は遺構の配置状況を良く示しており、「別名」・「多々羅」の地名との関連が注目される。
[別名成ルノ谷遺跡 要約]
今治平野北西部の丘陵地帯に広がる弥生時代から中世の遺跡群。  弥生時代では、谷部に形成された弥生時代後期の集落跡を確認。また、別名寺谷I遺跡では、弥生時代中期後半の絵画土器が単独で出土。住居壁面の表現を持つ絵画土器の出土は、日本初である。  古墳時代では、別名端谷II遺跡で、古墳時代中期に比定される埋葬主体を確認した。  古代では、別名端谷I遺跡・別名寺谷I遺跡で8〜10世紀前半頃の鍛冶工房跡を確認。伊予国府・越智郡衙・周辺の製鉄関連遺跡との関連が注目される。  中世では、15〜16世紀の遺構・遺物が確認された。なかでも、別名成ルノ谷遺跡の鍛冶工房跡は遺構の配置状況を良く示しており、「別名」・「多々羅」の地名との関連が注目される。
[別名寺谷I遺跡 要約]
今治平野北西部の丘陵地帯に広がる弥生時代から中世の遺跡群。  弥生時代では、谷部に形成された弥生時代後期の集落跡を確認。また、別名寺谷I遺跡では、弥生時代中期後半の絵画土器が単独で出土。住居壁面の表現を持つ絵画土器の出土は、日本初である。  古墳時代では、別名端谷II遺跡で、古墳時代中期に比定される埋葬主体を確認した。  古代では、別名端谷I遺跡・別名寺谷I遺跡で8〜10世紀前半頃の鍛冶工房跡を確認。伊予国府・越智郡衙・周辺の製鉄関連遺跡との関連が注目される。  中世では、15〜16世紀の遺構・遺物が確認された。なかでも、別名成ルノ谷遺跡の鍛冶工房跡は遺構の配置状況を良く示しており、「別名」・「多々羅」の地名との関連が注目される。
[別名寺谷II遺跡 要約]
今治平野北西部の丘陵地帯に広がる弥生時代から中世の遺跡群。  弥生時代では、谷部に形成された弥生時代後期の集落跡を確認。また、別名寺谷I遺跡では、弥生時代中期後半の絵画土器が単独で出土。住居壁面の表現を持つ絵画土器の出土は、日本初である。  古墳時代では、別名端谷II遺跡で、古墳時代中期に比定される埋葬主体を確認した。  古代では、別名端谷I遺跡・別名寺谷I遺跡で8〜10世紀前半頃の鍛冶工房跡を確認。伊予国府・越智郡衙・周辺の製鉄関連遺跡との関連が注目される。  中世では、15〜16世紀の遺構・遺物が確認された。なかでも、別名成ルノ谷遺跡の鍛冶工房跡は遺構の配置状況を良く示しており、「別名」・「多々羅」の地名との関連が注目される。

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