奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41246 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132428 件
( 前年度比 + 1743 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

黒崎城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24423
引用表記 (財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室 2008 『北九州市埋蔵文化財調査報告書391:黒崎城跡』(財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室
(財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室 2008 『黒崎城跡』北九州市埋蔵文化財調査報告書391
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=愼敏|last=宇野|title=黒崎城跡|origdate=2008-03-31|date=2008-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/24423|location=福岡県北九州市小倉北区金田1-1-3|ncid=BA72936256|series=北九州市埋蔵文化財調査報告書|volume=391}} 閉じる
ファイル
書名 黒崎城跡
発行(管理)機関 (公財)北九州市芸術文化振興財団 - 福岡県
書名かな くろさきじょうあと
副書名 前田熊手線街路事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 ; 6
巻次 7(8・11・13・19・20区)
シリーズ名 北九州市埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 391
編著者名
編集機関
(財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室
発行機関
(財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室
発行年月日 20080331
作成機関ID
郵便番号 803-0816
電話番号 093-582-0941
住所 福岡県北九州市小倉北区金田1-1-3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 黒崎城跡8・11・13・19・20区
遺跡名かな くろさきじょうあと
本内順位
遺跡所在地 福岡県北九州市八幡西区田町1・2丁目
所在地ふりがな ふくおかけんきたきゅうしゅうしやはたにしくたまちいち・にちょうめ
市町村コード 40100
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 335203
東経(日本測地系)度分秒 1304620
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.8708 130.7698
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20041119-20050131
20050401-20050630
20051202-20060131
調査面積(㎡)
2200
855
690
調査原因 前田熊手線街路事業
遺跡概要
種別
その他の生産遺跡
その他
時代
縄文
主な遺構
包含層
主な遺物
縄文土器
特記事項 井堰は13区から検出。
種別
その他の生産遺跡
その他
時代
弥生
主な遺構
包含層
井堰
主な遺物
弥生土器
石器
特記事項
種別
田畑
時代
江戸
主な遺構
水田跡
井戸
土坑
主な遺物
陶磁器
木製品
特記事項 下駄屋、土人形、菓子屋、飲食業などの店屋の存在が想定される。
要約 [黒崎城跡8・11・13・19・20区 要約]
黒崎城跡8・11・13・19・20区は、江戸時代初期(1604年)に、福岡藩主黒田長政の家臣、井上周防之房に命じて築造させた黒崎城下町と、その後の黒崎宿場町にあたる所である。今回の発掘調査では、町屋そのものではなく街道から少し南に下がった町屋の裏手と、その裏に一面に広がった水田跡が検出された。この水田跡には1840年の大火によって焼失した家屋の廃材や生活用品が大量に投げ込まれており、当時の生活の一端を窺い知る重要な資料と言えるであろう。また、街道筋に面する建物で、白色粘土土坑や土人形の破砕された遺跡が検出され、土人形を復元したところ失敗作の可能性が高く、ここで土人形を製作していたと推察される。江戸期の建物跡の面の下、150〜200?の砂質土は弥生時代頃に堆積したもので、なかから弥生土器が出土する。そしてその下の貝層には、縄文時代前期の土器が検出され、貝層の時期が6000年前位に比定できる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 112
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力