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七社神社前遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24327
引用表記 (財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2008 『東京都埋蔵文化財センター調査報告221:七社神社前遺跡』(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2008 『七社神社前遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告221
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ファイル
書名 七社神社前遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな ななしゃじんじゃまえいせき
副書名 警視庁単身待機宿舎滝野川警察署滝野川寮改築工事に伴う調査
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 221
編著者名
編集機関
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行機関
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行年月日 20080331
作成機関ID
郵便番号 206-0033
電話番号 042-373-5296
住所 東京都多摩市落合1-14-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 七社神社前遺跡
遺跡名かな ななしゃじんじゃまえいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都北区西ヶ原二丁目29の3番地
所在地ふりがな とうきょうときたくにしがはらにちょうめ29の3ばんち
市町村コード 13117
遺跡番号 27
北緯(日本測地系)度分秒 354447
東経(日本測地系)度分秒 1394423
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7496 139.7365
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070903-20071116
調査面積(㎡)
700
調査原因 警視庁単身待機宿舎滝野川警察署滝野川寮改築工事
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
住居跡6
土坑6
柱穴3
主な遺物
土器(前期後半 前期末葉)
土製品(円板
ミニチュア土器)
焼成粘土塊
石製品(状耳飾
箆状石製品)
石器(石鏃
磨製石斧
打製石斧
石核
礫器
磨石
敲石
石皿)
特記事項 縄文時代前期後半の良好な土器と石製品
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
住居跡1
柱穴4
主な遺物
土器(後期)
特記事項
種別
官衙
時代
古代(細分不明)
主な遺構
特殊遺構1
柱穴3
主な遺物
土師器
須恵器
鉄製品
特記事項
要約 [七社神社前遺跡 要約]
遺跡は武蔵野台地の北東端、本郷台を構成する上野台の北西端に立地する。本遺跡は過去31地点に及ぶ調査と報告が行われている。今回は700?の狭い調査面積であったが、縄文時代前期後半、弥生時代後期、古代の各時代の遺構と遺物を検出した。 縄文時代前期後半は竪穴住居跡6軒、土坑6基、柱穴3基を検出した。そのうち竪穴住居跡3軒は重複しており、2号住居跡は1辺が7mの規模を持つ隅丸方形の大型住居であった。遺物は総点数10285点出土した。主体を占めるのは縄文時代前期後半の土器・石器で、縄文土器は諸磯式が主体を占めるが、浮島系・北白川下層?式系の搬入も認められた。また石製品には状耳飾2点、箆状石製品1点がある。七社神社前遺跡の縄文時代前期後半の集落は、過去の調査成果から、墓である土坑群を含む広場を中心に周囲に住居が広がる、南北直径約200m規模の環状集落と位置付けられていた。今回の調査地点は調査事例の比較的少なかった集落西端にあたり、集落の東西規模も南北とほぼ同規模の環状集落であったことが確認され、諸磯a式期には集落が環状に広がっていた可能性がより高くなった。 弥生時代後期は竪穴住居跡1軒、柱穴4基が検出され、西ヶ原遺跡群の該期集落の西端にあたる。古代は、特殊遺構1基、柱穴3基が検出された。特殊遺構は性格の特定には至らなかったが、7世紀末の武蔵国豊島評の役所であった豊島評家の成立と関連する遺構と考えられた。

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