奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41247 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132429 件
( 前年度比 + 1744 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

中田遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/25596
引用表記 (公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2012 『東京都埋蔵文化財センター調査報告273:中田遺跡』(公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
(公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2012 『中田遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告273
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=良彦|last=及川|first2=孝修|last2=小坂井|first3=充|last3=中西|first4=惠昭|last4=今井|first5=健|last5=伊藤|first6=朝宏|last6=上條|first7=和夫|last7=増渕|first8=英行|last8=芝田|first9=|last9=パリノ・サーヴェイ株式会社|title=中田遺跡|origdate=2012-06-30|date=2012-06-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/25596|location=東京都多摩市落合1-14-2|ncid=AN00155536|ncid=BA8955722X|series=東京都埋蔵文化財センター調査報告|volume=273}} 閉じる
ファイル
書名 中田遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな なかだいせき
副書名 都営中野山王三丁目団地(5期)埋蔵文化財発掘調査
巻次 2
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 273
編著者名
編集機関
(公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行機関
(公財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行年月日 20120630
作成機関ID
郵便番号 206-0033
電話番号 042-373-5296
住所 東京都多摩市落合1-14-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中田遺跡
遺跡名かな なかだいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都八王子市中野山王三丁目2327番地1ほか
所在地ふりがな とうきょうとはちおうじしなかのさんのうさんちょうめ2327ばんち1ほか
市町村コード 13201
遺跡番号 92
北緯(日本測地系)度分秒 354025
東経(日本測地系)度分秒 1391919
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.6768 139.3188
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20101214-20110819
調査面積(㎡)
9150
調査原因 都営中野山王三丁目団地(5期)建替え
遺跡概要
種別
散布地
時代
旧石器
主な遺構
主な遺物
尖頭器1
特記事項
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
住居跡1
土坑2
集石3
ピット6
主な遺物
土器(前期から後期)
石器(石匙
打製石斧
磨石
石皿
剥片)
焼礫
特記事項
種別
集落
時代
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
主な遺構
住居跡63
掘立柱建物跡38
柵列16
土坑170
竪穴状遺構22
焼土跡14
溝20
ピット1451
不明遺構4
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
土製品
舶載磁器
陶磁器
かわらけ
玉類
石器
石製品(砥石
編物石
火打石
磨石
模造品)
金属製品(斧
刀子
紡錘車
火打金
鉄滓
鍍金容器
円板
煙管
弾)
銭貨
馬頭骨
植物種子
炭化材
特記事項
要約 [中田遺跡 要約]
全2分冊  旧石器時代の石器は、尖頭器1点のみの出土である。縄文時代は、西側の区域から検出された中期前半の集落の広がりはなく、集石や陥穴土坑が検出されたのみである。弥生時代から古墳時代中期頃までの痕跡は、比較的薄い。古墳時代後期になってから一挙に住居跡の数が増加する。その後、集落は継続的に営まれる。中世以降では大溝から13から14世紀頃の陶磁器類と馬頭骨が出土している。馬頭骨は祈雨等の儀礼の痕跡と推定される。大溝を境に東から掘立柱建物跡を主とした屋敷跡と、西側から竪穴状遺構を主とした遺構群が検出された。これらの周辺一帯からも多数の掘立柱建物跡・溝・土坑・ピット等を検出する。屋敷が廃絶された後は畑として使用されたようで、団地造成直前まで大溝上は道として使用され続けたことが明治初期の絵図や団地造成直前の公図で確認できる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 279
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力