奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41272 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132453 件
( 前年度比 + 1769 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147605 件
( 前年度比 + 2163 件 )
現在の文化財論文件数
120577 件
( 前年度比 + 1583 件 )
現在の文化財動画件数
1306 件
( 前年度比 + 122 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1253 件
( 前年度比 + 203 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 全国 > 我孫子市日秀西遺跡発掘調査報告書

我孫子市日秀西遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129407
引用表記 千葉県文化財センター 1980 『千葉県教育振興財団調査報告24:我孫子市日秀西遺跡発掘調査報告書』千葉県文化財センター他
千葉県文化財センター 1980 『我孫子市日秀西遺跡発掘調査報告書』千葉県教育振興財団調査報告24
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=一順|last=清藤|first2=純司|last2=上野|first3=昭夫|last3=堀部|title=我孫子市日秀西遺跡発掘調査報告書|origdate=1980-02-29|date=1980-02-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/129407|location=千葉県千葉市亥鼻1-3-13|ncid=BN01941247|series=千葉県教育振興財団調査報告|volume=24}} 閉じる
ファイル
書名 我孫子市日秀西遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな あびこしひびりにしいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 千葉県教育振興財団調査報告
シリーズ番号 24
編著者名
編集機関
千葉県文化財センター
発行機関
千葉県文化財センター
千葉県教育委員会
発行年月日 19800229
作成機関ID 1222289
郵便番号 280
電話番号 0472256478
住所 千葉県千葉市亥鼻1-3-13
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 日秀西遺跡
遺跡名かな ひびりにしいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉県我孫子市日秀字西70ほか
所在地ふりがな ちばけんあびこしひびりあざにし70ほか
市町村コード 12222
遺跡番号 001
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 355148.7038
東経(世界測地系)度分秒 1400511.6550
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.863528 140.08657
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19771215-19781208
調査面積(㎡)
調査原因
遺跡概要
種別
集落
官衙
散布地
時代
旧石器
縄文
弥生
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
礎石建物跡
土坑
主な遺物
旧石器時代石器
縄文土器
土師器
須恵器
鉄製品
土製品
石製品
「和同開珎」銀銭
古銭
炭化米
特記事項  縄文時代から古墳時代前期までは非常に小規模な集落が確認されるが、古墳時代後期になると、186軒に及ぶ竪穴住居跡が検出され、大規模な集落が形成される。そして、この集落を排除するかのように7世紀末~8世紀初頭に長大な建物を含む官衙的な建物群が数棟出現する。
 8世紀前半になると、30棟以上のほぼ総柱建物で構成される建物群が東西南北に規則的に配置され、下総国相馬郡の正倉と考えられる。礎石建物は6棟検出され、9号建物の版築内から鎮壇具と思われる半裁された和同開珎の銀銭が出土しており、8世紀前半以降に掘立柱建物跡から礎石建物に改築された可能性が高い。
要約  本遺跡は手賀沼側に開析する谷の奥まった台地上に位置する。
 旧石器時代の石器は単独で出土した11点で、尖頭器が主体を占める。縄文時代は、前期黒浜式期の竪穴住居跡8軒と早期茅山式期の炉穴が1基検出された。出土遺物の中には、胴部を欠くミミズク土偶が1点確認された。弥生時代の遺構は竪穴住居跡2軒のみで、いずれも後期の所産である。古墳時代は前期と後期の集落が認められるが、前期には竪穴住居跡2軒と同時期の祭祀的な土器の配列が検出された。
 本遺跡の本格的な集落の形成は古墳時代後期で、総数186軒にのぼる。当該地域の拠点的な集落が展開するが、奈良時代以降になると集落が途絶え、相馬郡衙の正倉と想定される掘立柱建物跡や基壇建物跡がコの字状の規則的な配置をもって営まれる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 289
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力