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野々市町末松遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/28636
引用表記 財団法人石川県埋蔵文化財センター 2006 『野々市町末松遺跡』石川県教育委員会他
財団法人石川県埋蔵文化財センター 2006 『野々市町末松遺跡』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=修平|last=湯尻|first2=光次郎|last2=垣内|first3=雅文|last3=伊藤|first4=哲哉|last4=金山|first5=実|last5=松尾|first6=由布子|last6=山田|first7=|last7=株式会社古環境研究所|first8=|last8=パリノ・サーヴェイ株式会社|title=野々市町末松遺跡|origdate=2006-03-31|date=2006-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/28636|location=石川県金沢市中戸町18-1|ncid=BA78678018}} 閉じる
ファイル
書名 野々市町末松遺跡
発行(管理)機関 (公財)石川県埋蔵文化財センター - 石川県
書名かな ののいちまち すえまついせき
副書名 石川県立大学整備工事に係る埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
財団法人石川県埋蔵文化財センター
発行機関
石川県教育委員会
財団法人石川県埋蔵文化財センター
発行年月日 20060331
作成機関ID
郵便番号 920-1336
電話番号 076-229-4477
住所 石川県金沢市中戸町18-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 末松遺跡
遺跡名かな すえまついせき
本内順位
遺跡所在地 石川県石川郡野々市町末松 中林
所在地ふりがな いしかわけんいしかわぐんののいちまちすえまつ なかばやし
市町村コード 17344
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 363022
東経(日本測地系)度分秒 1363550
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.5092 136.5942
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20020729-20021212
20030428-20031203
調査面積(㎡)
4235
10450
調査原因 石川県立大学整備工事
遺跡概要
種別
集落
時代
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
畝溝(畠)
土坑
周溝状遺構
ピット
主な遺物
須恵器
土師器
鉄製品
打製石斧
特記事項
遺跡名 末松ダイカン遺跡
遺跡名かな すえまつだいかんいせき
本内順位
遺跡所在地 石川県石川郡野々市町末松
所在地ふりがな いしかわけんいしかわぐんののいちまちすえまつ
市町村コード 17344
遺跡番号 16018
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363034.7
東経(世界測地系)度分秒 1363529.4
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.509638 136.5915
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19770519-19770609
19890417-19890427
調査面積(㎡)
216
39
調査原因 農業短期大学果樹園造成/農業短期大学果樹園管理舎建設
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
飛鳥白鳳
平安
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
土坑
畝溝
ピット
主な遺物
弥生土器
須恵器
土師器
特記事項 時代 : 飛鳥
要約 [末松遺跡 要約]
7世紀後半〜10世紀の集落跡である。出土遺物は8世紀代のものが中心を占める。遺跡を代表するような遺構は主にE区とH区に見られる。E区では末松A遺跡(昭和61年度調査)で確認された7世紀後半の集落の一部を検出し、H区では計画的に造成された畠跡と道跡を確認した。遺跡の北半部に遺構が集中して広がっており、遺構の希薄な南半部は遺跡の縁辺部にあたる。PDF有り。
[末松ダイカン遺跡 要約]
弥生〜古墳時代と7世紀代を中心とした古代の集落跡である。昭和52年度調査では竪穴建物跡9棟を検出しており、末松廃寺に先行すると思われる建物も一部存在する。掘立柱建物と畝溝は平安時代のものと推定される。遺物は弥生後期 古墳前期のものが散発的に出土している。平成元年度調査では末松廃寺創建時と同時期の掘立柱建物の一部と、弥生後期 古墳前期の溝を検出した。PDF有り。

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