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潤崎遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/29569
引用表記 (財)北九州市教育文化事業団埋蔵文化財調査室 1997 『北九州市埋蔵文化財調査報告書202:潤崎遺跡』(財)北九州市教育文化事業団埋蔵文化財調査室
(財)北九州市教育文化事業団埋蔵文化財調査室 1997 『潤崎遺跡』北九州市埋蔵文化財調査報告書202
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ファイル
書名 潤崎遺跡
発行(管理)機関 (公財)北九州市芸術文化振興財団 - 福岡県
書名かな うるさきいせき
副書名 公営住宅潤崎団地建替工事に伴う中世遺跡の調査
巻次 5(第6地点・第7地点)
シリーズ名 北九州市埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 202
編著者名
編集機関
(財)北九州市教育文化事業団埋蔵文化財調査室
発行機関
(財)北九州市教育文化事業団埋蔵文化財調査室
発行年月日 19970331
作成機関ID
郵便番号 803-0816
電話番号 093-582-0941
住所 福岡県北九州市小倉北区金田1-1-3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 潤崎遺跡第7地点
遺跡名かな うるさきいせき
本内順位
遺跡所在地 福岡県北九州市小倉南区東貫2丁目
所在地ふりがな ふくおかけんきたきゅうしゅうしこくらみなみくひがしぬきにちょうめ
市町村コード 40100
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 334904
東経(日本測地系)度分秒 1305627
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.821 130.9384
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19940516-19940531
調査面積(㎡)
550
調査原因 公営住宅潤崎団地建替工事に伴う事前調査
遺跡概要
種別
集落
時代
室町
主な遺構
地下式土坑1
主な遺物
特記事項 土坑はその形態から地下式土坑の可能性が強い。中世の土坑しか検出されなかったが、周囲の地形から推定すると1.5m前後削平されたため地下深く掘られた地下式土坑のみが残存したものと思われる。谷地の第8地点からは中世の遺物が相当量出土しており、本来は中世の集落が存在し
遺跡名 潤崎遺跡第6地点
遺跡名かな うるさきいせき
本内順位
遺跡所在地 福岡県北九州市小倉南区東貫2丁目
所在地ふりがな ふくおかけんきたきゅうしゅうしこくらみなみくひがしぬきにちょうめ
市町村コード 40100
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 334904
東経(日本測地系)度分秒 1305627
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.821 130.9384
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19931101-19931130
調査面積(㎡)
1050
調査原因 公営住宅潤崎団地建替工事に伴う事前調査
遺跡概要
種別
集落
時代
室町
主な遺構
地下式土坑5
主な遺物
古銭
青磁
白磁
瓦質土器
陶器
砥石
特記事項 土坑はその形態から地下式土坑の可能性が強い。中世の土坑しか検出されなかったが、周囲の地形から推定すると1.5m前後削平されたため地下深く掘られた地下式土坑のみが残存したものと思われる。谷地の第8地点からは中世の遺物が相当量出土しており、本来は中世の集落が存在し
要約

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