URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/131720
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引用表記 |
かながわ考古学財団 2023 『かながわ考古学財団調査報告334:粟窪・林遺跡/粟窪・林台遺跡/粟窪・四石田遺跡』かながわ考古学財団
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かながわ考古学財団 2023 『粟窪・林遺跡/粟窪・林台遺跡/粟窪・四石田遺跡』かながわ考古学財団調査報告334
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wikipedia 出典テンプレート :
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ファイル |
|
書名 |
粟窪・林遺跡/粟窪・林台遺跡/粟窪・四石田遺跡 |
発行(管理)機関 |
(公財)かながわ考古学財団
- 神奈川県
|
書名かな |
あわくぼ はやし いせき あわくぼ はやしだい いせき あわくぼ しこくだ いせき |
副書名 |
新東名高速道路(伊勢原市粟窪地区)建設事業に伴う発掘調査 |
巻次 |
|
シリーズ名 |
かながわ考古学財団調査報告 |
シリーズ番号 |
334 |
編著者名 |
|
編集機関 |
かながわ考古学財団
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発行機関 |
かながわ考古学財団
|
発行年月日 |
20230328 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
2320033 |
電話番号 |
0452528689 |
住所 |
神奈川県横浜市南区中村町3-191-1 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
粟窪・林遺跡 |
遺跡名かな |
あわくぼはやしいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
神奈川県伊勢原市粟窪地先 |
所在地ふりがな |
かながわけんいせはらしあわくぼちさき |
市町村コード |
14214 |
遺跡番号 |
71・165 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
352435.81 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1391900.6 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.409947 139.316833
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20110901-20120415
20121101-20121231
20130516-20131115
20140616-20140630
20140801-20140915
|
調査面積(㎡) |
5935
|
調査原因 |
道路 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
掘立柱建物址2
段切り4
溝状遺構44
炭焼窯1
竪穴状遺構7
井戸1
土坑94
畝状遺構4
ピット135
焼土址3
硬化面7
|
主な遺物 |
磁器
陶器
土器
金属製品
銭貨
土製品
石製品
人骨
獣骨
|
特記事項 |
17 ~ 19 世紀の遺構、 遺物出土。 段切りを施し耕作地として利用。 炭焼窯 は幕末から近代に稼働。 |
種別 |
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
掘立柱建物址5
段切り10
道状遺構2
溝状遺構31
地下式坑2
竪穴状遺構10
井戸1
土坑61
ピット426
焼土址1
|
主な遺物 |
磁器
陶器
土器
金属製品
銭貨
土製品
石製品
|
特記事項 |
馬小屋の可能性がある矩形状の掘立柱建物址検出。 柱穴から 13 世紀代の中国産磁器出土。 |
種別 |
集落
|
時代 |
飛鳥白鳳
奈良
平安
|
主な遺構 |
竪穴住居址35
掘立柱建物址25
竪穴状遺構9
溝状遺構3
土坑91
焼土址1
ピット922
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
灰釉陶器
緑釉陶器
土製品
金属製品
鉄滓
石器
石製品
骨
|
特記事項 |
7~ 10 世紀代の集落址。出土土師器に「真」「主」 と推定される墨書あり。 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
土坑2
ピット71
|
主な遺物 |
土器
土製品
石器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
旧石器
|
主な遺構 |
遺物集中2
|
主な遺物 |
石器
礫
炭化物
|
特記事項 |
B4 層上部から台形様石器、 剥片、 炭化物等が出土。 |
|
遺跡名 |
粟窪・林台遺跡 |
遺跡名かな |
あわくぼはやしだいいせき |
本内順位 |
2 |
遺跡所在地 |
神奈川県伊勢原市粟窪地先 |
所在地ふりがな |
かながわけんいせはらしあわくぼちさき |
市町村コード |
14214 |
遺跡番号 |
71 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
352445 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1391859 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.4125 139.316388
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20110401-20110615
20120416-20120531
20121220-20121225
20130401-20130515
20140616-20140831
20180116-20180430
|
調査面積(㎡) |
2860
|
調査原因 |
道路 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
段切り4
道状遺構1
溝状遺構9
竪穴状遺構1
地下式坑1
土坑22
ピット37
硬化面2
|
主な遺物 |
磁器
陶器
土器
金属製品
土製品
石製品
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
土坑2
ピット1
|
主な遺物 |
磁器
陶器
土器
人骨
|
特記事項 |
土坑 2 基は墓の可能性。 |
種別 |
集落
|
時代 |
飛鳥白鳳
奈良
平安
|
主な遺構 |
竪穴住居址7
掘立柱建物址7
竪穴状遺構1
溝状遺構9
土坑29
焼土址2
ピット903
硬化面1
畝状遺構1
遺物集中2
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
灰釉陶器
金属製品
石器
石製品
骨
種子
|
特記事項 |
7世紀代を中心とする集落。 |
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
古墳
|
主な遺構 |
竪穴住居址8
竪穴状遺構1
土坑9
焼土址1
硬化面4
遺物集中1
|
主な遺物 |
土器
|
特記事項 |
弥生時代末から古墳時代 I前期を中心とする集落。 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
土坑1
ピット53
|
主な遺物 |
土器
土製品
石器
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
粟窪・四石田遺跡 |
遺跡名かな |
あわくぼしこくだいせき |
本内順位 |
3 |
遺跡所在地 |
神奈川県伊勢原市粟窪地先 |
所在地ふりがな |
かながわけんいせはらしあわくぼちさき |
市町村コード |
14214 |
遺跡番号 |
71 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
352434.33 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1391905.27 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.409536 139.31813
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20120816-20120930
20130901-20131031
|
調査面積(㎡) |
973
|
調査原因 |
道路 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
建物址1
溝状遺構3
竪穴状遺構1
土坑9
ピット23
|
主な遺物 |
磁器
陶器
土器
石製品
獣骨
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
土坑4
ピット21
|
主な遺物 |
磁器
陶器
土器
石塔
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
飛鳥白鳳
奈良
平安
|
主な遺構 |
溝状遺構2
土坑2
ピット27
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
灰釉陶器
銭貨
|
特記事項 |
「隆平永寶」片出土。 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
集石1
|
主な遺物 |
土器
|
特記事項 |
|
|
|
要約 |
粟窪・林遺跡の調査範囲は主に台地南側の北西から南西へ向く斜面地に所在し、旧石器時代から近世の遺構・遺物が発見されている。旧石器時代はB4層上部の2個所で、台形様石器、剥片、炭化物などが出土している。縄文時代は竪穴住居址等は検出されず、遺構外から主に早期後葉から末葉と中期の士器が出土している。古墳時代後期から奈良•平安時代には台地南東の斜面に集落が形成される。集落の中心的な年代は9~10 世紀代である。中世では13世紀代に、調査区南東に馬小屋と推定される矩形状の建物や大規模な道状遺構が造られる。15 世紀以降、調査区中央南側に掘立柱建物址が建てられるが、調査区の大半は段切りを施して耕作地として利用されたと推定される。近世も引き続き段切りを行い、耕作地として利用されている。調査区中央南側は継続して掘立柱建物址が所在し、近隣に炭焼窯も造られる。 粟窪・林台遺跡の調査範囲は台地東側の南西から北東に降る斜面地に所在し、縄文時代から近世の遺構・遺物が発見されている。縄文時代は主に遺構外から中期初頭、後期後葉の土器が出土している。弥生時代後期から古墳時代前期には集落が形成される。古墳時代後期から奈良・平安時代にも前代よりやや南・東に位置を変えて集落が展開している。中世では墓と考えられる土坑が発見されているが土地利用は活発でなく、近世には段切りを施して主に耕作地として利用されていた考えられる。 粟窪・四石田遺跡の調査範囲は西に位置する粟窪・林遺跡との間に南北に延びる小尾根を挟んだ、東側の傾斜面に位置する。縄文時代から近世の遺構・遺物が発見されているが、各時代を通じて土地利用は活発でなく、近世になり小尾根上付近に建物址が建てられている。 |