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仏向貝塚・仏向遺跡・仏向町遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27703
引用表記 かながわ考古学財団 2012 『かながわ考古学財団調査報告279:仏向貝塚・仏向遺跡・仏向町遺跡』かながわ考古学財団
かながわ考古学財団 2012 『仏向貝塚・仏向遺跡・仏向町遺跡』かながわ考古学財団調査報告279
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ファイル
書名 仏向貝塚・仏向遺跡・仏向町遺跡
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな ぶっこう かいづか ぶっこう いせき ぶっこうちょう いせき
副書名 仏向町団地(2BL)埋蔵文化財包蔵地発掘調査
巻次
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 279
編著者名
編集機関
かながわ考古学財団
発行機関
かながわ考古学財団
発行年月日 20120302
作成機関ID
郵便番号 232-0033
電話番号 045-252-8689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3丁目191番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 仏向貝塚 仏向遺跡
遺跡名かな ぶっこうかいづかぶっこういせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県横浜市保土ヶ谷区仏向町845-1他
所在地ふりがな かながわけんよこはましほどがやくぶっこうちょう
市町村コード 14106
遺跡番号 39/84/42
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352732.32
東経(世界測地系)度分秒 1393459.15
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.458977 139.583097
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100101-20100930
調査面積(㎡)
5748
調査原因 集合住宅建替事業(仏向町団地)
遺跡概要
種別
集落
田畑
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
竪穴住居址1
竪穴状遺構1
畝1
主な遺物
土師器
須恵器
陶磁器
金属製品
特記事項 10世紀末〜11世紀前葉の竪穴住居

遺跡名:仏向貝塚・仏向遺跡・仏向町遺跡
遺跡名かな:ぶっこうかいづか・ぶっこういせき・ぶこうちょういせき
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
竪穴住居址29
溝5
主な遺物
土器
土製品
特記事項 弥生時代後期後半〜古墳時代前期初頭の集落
種別
集落
貝塚
時代
縄文
主な遺構
竪穴住居址8
貝塚2
土坑35
主な遺物
土器
石器
土製品
石製品
特記事項 縄文時代前期後葉の集落、後期前半の貝塚と集落
要約 [仏向貝塚・仏向遺跡・仏向町遺跡 要約]
仏向貝塚・仏向遺跡・仏向町遺跡は帷子川右岸の仏向台地上に位置し、縄文時代早期・前期・後期、弥生時代後期〜古墳時代初頭、平安時代、中世・近世以降と複数の時代にわたる遺構・遺物が確認された。縄文時代では、早期の落とし穴、前期の竪穴住居群、後期の貝塚や竪穴住居群など時期的変遷が認められる。特に竪穴住居群の中央にある貝塚は県内でも数少ない後晩期貝塚として著名な仏向貝塚の西端をなすのもであり、後晩期貝塚の形成過程を解明する上で希少な資料である。弥生時代後期〜古墳時代初頭の竪穴住居群は、これまでの周囲の調査で確認されている台地の北側に展開する方形周溝墓に対応する居住域と想定され、該期社会の様相を解明する上で良好な資料である。平安時代における竪穴住居の発見により該期の台地が居住域として、近世以降の竪穴状遺構や畝の確認によりこの地が耕作地として利用された状況を明らかにすることができた。 

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