奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41106 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132385 件
( 前年度比 + 1694 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147501 件
( 前年度比 + 2066 件 )
現在の文化財論文件数
120538 件
( 前年度比 + 1535 件 )
現在の文化財動画件数
1296 件
( 前年度比 + 112 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1238 件
( 前年度比 + 187 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 全国 > 東京都文京区 林町東遺跡

東京都文京区 林町東遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/88779
引用表記 文京区教育委員会 2020 『B-177:東京都文京区 林町東遺跡』文京区
文京区教育委員会 2020 『東京都文京区 林町東遺跡』B-177
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=恒彦|last=竹村|first2=聡|last2=町田|first3=萌|last3=中島|first4=和樹|last4=大口|first5=|last5=株式会社パレオ・ラボ|title=東京都文京区 林町東遺跡|origdate=2020-11-30|date=2020-11-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/88779|location=東京都文京区春日1-16-21|ncid=BC04866435}} 閉じる
ファイル
書名 東京都文京区 林町東遺跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうく はやしちょうひがしいせき
副書名 文京区立明化小学校改築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-177
編著者名
編集機関
文京区教育委員会
発行機関
文京区
発行年月日 20201130
作成機関ID 13105
郵便番号 112-8555
電話番号 03-3812-7111
住所 東京都文京区春日1-16-21
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 林町東遺跡
遺跡名かな はやしちょうひがしいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区千石一丁目13番9号
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくせんごく1-13-9
市町村コード 13105
遺跡番号 142
北緯(日本測地系)度分秒 354329
東経(日本測地系)度分秒 1394442
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7279 139.7418
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190605-20190931
調査面積(㎡)
795
調査原因 小学校改築
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
陥穴1
小穴45
主な遺物
土器
石器
特記事項 遺構に遺物は伴わない。近世以降の遺構などから縄文時代中期後半の遺物が出土した。
種別
集落
時代
古代(細分不明)
主な遺構
主な遺物
特記事項 遺構は検出されなかった。
種別
時代
近世(細分不明)
主な遺構
井戸跡2
採土坑1
溝状遺構1
土坑74
小穴列12
胞衣埋納遺構1
溝状遺構群4
小穴・杭穴70
主な遺物
磁器
陶器
炻器
土器
土製品
金属製品
木製品
線維製品
骨角製品
ガラス製品
石製品
自然遺物
土類
特記事項 3面の調査を行い、第2・3面が近世に該当する。
第3面からは、掘り込みが一定方向に連続して並ぶ溝状遺構群が検出された。遺構は4箇所に分けられ、調査区のほぼ全域で確認された。遺構の性格は明確でないが、耕作や土壌改良に関連するものと考えられる。
第2面からは、一橋徳川家の抱屋敷に関連する遺構・遺物が確認された。
種別
時代
近代(細分不明)
主な遺構
屋内体操場跡1
校舎構造物1
プール跡1
校庭跡1
礎石建物跡1
掘立柱構造物跡7
水道施設跡1
給水施設跡1
排水施設跡6
土留め石積み跡1
土坑28
植栽痕6
小穴列7
小穴列群1
小穴・杭穴248
主な遺物
磁器
陶器
炻器
土器
土製品
金属製品
ガラス製品
石製品
自然遺物
樹脂製品
レンガ類
特記事項 第1面が近代以降に該当する。
明治36(1903)年に現敷地の東側が明化小学校の敷地になった。当時西側は宅地などとして利用された。
遺構は明化小学校関連が大半を占め、多くは、現存する写真に上部構造物を確認できる。

遺構522基、遺物総点数35,035点、総重量1,247,706.0g
要約  本遺跡は、東京都文京区千石一丁目13番9号の文京区立明化小学校の敷地内に所在する。調査地点は白山台東端部台地辺縁の斜面地に立地する。周辺の現標高は22m前後を測る。近世期は寛永16(1636)年に旗本神保家が百姓地を入手し、同家の抱屋敷となる。寛延3(1751)年に同家から小石川原町名主へ土地が譲渡され、さらに時期は不明だが、小石川村百姓に譲渡される。天明2(1782)年に一橋家家臣皆川藤左衛門が入手し、同家の抱屋敷となる。天明5(1785)年に一橋家名義となり、明治維新まで同家の抱屋敷として利用される。文献調査から抱屋敷であった調査地点には、「御領知役所」や「御長屋」、家臣の拝借地が設けられていたことが分かった。また、18世紀後葉は調査地点周辺の抱屋敷も一橋家名義になり、付近の拝借地が接続され、一帯には一橋家の「小石川御屋敷」が成立した。近代以降も、調査地点をはじめとした周辺の土地所有者は一橋家であった。調査地点へは明治36(1903)年に明化小学校が移転してくる。以後、現在に至るまで学校の敷地として利用される。昭和4(1929)年までは木造の初代校舎、以後は鉄筋の2代目校舎が使用された。
 調査では中世以前及び近世・近代以降の遺構・遺物が確認された。中世以前の遺構は、縄文時代の陥穴と小穴である。遺物は近世以降の遺構などから、中期の加曽利E式、曽利式土器が出土した。近世は耕作や土壌改良に関連すると考えられる遺構や、一橋家抱屋敷に関連する遺構・遺物が確認された。一橋家関連の遺構は、天保10(1842)年の火災に関連すると考えられる採土坑を転用した廃棄土坑などが検出された。遺物は「天保十年」の紀年銘、「高根沢村」の地名が墨書された陶器香炉形容器などが出土した。近代以降の遺構・遺物は、主に明化小学校に関連する。初代校舎関連の遺構は屋内体操場や校庭の跡などである。2代目関連の遺構はプール跡などが検出された。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 423
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力